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十月

旧暦和名では「神無月」と呼ばれる10月になりました。


中世以来の語源俗説として、旧暦のこの月は神々が出雲に集まり、
地方諸国に神々が居なくなることからとの説があり、
これを補足するように、帰納的ながら、出雲の国は古くからこの月を
神有月・神在月と呼ぶとされています。

実際のところは、水無月と同様に、格助詞(格助辞)として
「無(な)」が「の」の意味を有し、「神無月」は「神の月」、
出雲や諏訪地方の「神有月」も語義のままに「神の月」というほぼ同義の意味です。
それぞれに当てはめられた漢字が異なる点は、
研究がさらにすすめられる点かもしれません。



平たく「神々」としましたが、「天神地祇(てんしんちぎ)」とするのが
大祭の祝詞(のりと)から考えると正しく、
天神(天つ神)、地祇(国つ神)の両方(神祇)を祝い指している点が
最も興味深い点です。




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以下は極めて個人的な見解なので、熟読いただくようなものではありません。


古代の日本列島において、稲作をもたらした「天つ神(あまつかみ)」という種族と、
土着であった狩猟系の「国つ神(くにつかみ)」という種族は敵対し、
日本中の国つ神(先住民族)は征伐殺戮されたかとされる小説も多いのですが、
僕自身は、九州の熊襲建兄弟や、日本書紀に「吉備や難波の邪神」とある部分など
徹底抗戦をした各地方の先住民族の指導部との戦いなどはあったはずですが、
それはどうしても平和的な融合ができなかった、一部であったようにも思います。


「日本書紀」と最も落差の大きい筆記箇所でもあるのですが、
「古事記」の中での天つ神側である倭建命(ヤマトタケルノミコト)が
国つ神(先住民族)の東夷征伐を、司令官でありながら嘆くと同時に、
その折の景行天皇も興味深い命令を下しています。


  懐(なつ)くるに 徳を以(も)ちてして
  兵甲(つはもの)を煩(わずら)わずして
   《中略》
  即(すなは)ち 言(ことば)を巧(たく)みて 暴神(あらぶるかみ)を調へ、
  武を振(ふる)ひて 姦鬼(かまだしきもの)を攘(はら)へ。

  融和するためには徳をもって
  できるだけ武力を使わぬようにし
   《中略》
  つまり、説得に重きをみて、先住の民族と融和を目指し
  (それでも)殺し侵す行いがあるならば これを鎮圧せよ。



とあるように、その多くは、文化レベルの差異から臣従という形をとったものの
じっくりと平和的な糸口を探し融和をすすめ、
大部分は「稲作の種族」と「各地域の狩猟系種族」の自然な融合が
遥か太古の昔にあったと思っています。

また、これにより不足の知識を補い合うことで、両方の種族の生活は
飛躍的な安定と同化を見たかと思います。


飛鳥-藤原期には神祇両族のその融合に、もはや区分は困難で、
その頃には、新たに伝来した仏教文化や暦をいかにするかという
新たな話が政治的に生まれていたのではと思います。



現在でも米の収穫期に、「新嘗(にいなめ)」が皇室宮中や伊勢宮では大祭として
千年を超えて大事に守られているように、
収穫前の稲穂が眼前に広がるこの月は、種族融合した日本人にとっては、
自分たちの信じた「稲作」という生活様式そのものの最も大事な瞬間で、
これこそ示し申す「神」を思わす「神の月」であったのかなと考えがめぐります。


新しい理念性を持った仏教が伝播し、千数百年経ったいまも
天心地祇が融合した痕跡は、水田そのものの造り、仏事に無い「祭」というもの、
路傍の祀り(まつり)石、水田に囲まれる山上形式の古い神社など
国内のいたるところに「平和の痕跡」として残るべくして残されているように思います。





稲作関連の余談となりますが、日本列島の南東岸側には稲屋や産屋を表す「シラ」という
古語が形を変えつつもよく残されています(柳田國男「海上の道」等参照)。

オシラサマが原初は産屋やその循環を指したのか、その関連は現在もまだ研究途上※のようですが、
このオシラサマが近畿で一堂に会する展示が行われています。



 「渋沢敬三記念事業 屋根裏部屋の博物館 Attic Museum」
  ● 2013年9/19~12/3
  ● 国立民俗学博物館<大阪府吹田市千里万博公園内> 
  ● http://www.minpaku.ac.jp/






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 幕末 朱漆経机 御売約 個人蔵
 1970-80s 韓国の藤細工 御売約 個人蔵



※文章に関しては民俗学的な見地からの個人見解を記載したものです。
 極端な主義・思想・啓蒙を有しての内容や、天皇論などを論じた内容
 でないことを、ネットという性格を考え僭越ながら重ねて言及してお
 きます。
※オシラサマ(オシラ神)、オクナイ(オコナイ)サマ、十日ポトケ、カバカワ
 などの信仰の、白山・白神説、アイヌ土着起源の説等、各種の起源説と
 異なる見解ですが記載致しました。
 各説論拠の基本的な内容などは割愛させていただきますとともに、詳細
 柳田國男 『遠野物語』、佐々木喜善(鏡石)「オシラサマ」他、論説を参照
 ください。






百芍丹
by h_s_t | 2013-10-02 17:26 | 日々のこと
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