new vibes ───── movie in Kyoto




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Sturm und Drang

「疾風怒濤」と和訳されたためにそうした意味で理解されることも多いですが、
ドイツ語から直訳するならば「嵐と衝動」が正しいようです。

山田勇男監督、10年ぶりの新作となったわけで
京都においては一昨年の立誠シネマ主催の『銀河画報社の夜』における
「巻貝の扇」、「ポエオティアの山猫」、「銀河鉄道の夜」などの前期作品群、
そして、つげ義春原作の「蒸発旅日記」と再び楽しめたのは僥倖に思います。























自身、前期作品群と初めて接したのは20代前半の頃で
今は無くなってしまった京都・大宮のスペースベンゲットでした。
映画館というよりは、良い意味で「映写小屋」に近かった。

上映される映画の質は、ユーロ・スペースなど東京の名立たる小劇場に
引けをとらなかったように思い出します。



彼らの作品群は小シネマ系と括られがちながら、
小シネマにしか出せない映像の浮遊感などをしっかり出色しており
寺山修司以上に詞的な仕上がりと、また京都という土地で観るからこそ
そうした空気感も存分に充満していた感が、あったように思います。

























「あの空を涵してゆく影は地球のどの邊の影になるかしら。

    あすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」

                           梶井基次郎―『冬の日』

僕らがタルホ(稲垣足穂)の世界を映像化しようと、
質屋の暖簾を叩いたのが二十年前の六月の夕暮れ時だった。
僕らとは、もうひとり湊谷夢吉だった。
ふたりが出会ったデザイン会社の近くに、第三モッキリセンターという
安酒屋があって、いつも盃の数よりもたくさんの会話で満たされていた。

僕にとっての湊谷さんは、イデーの兄である、そう思って慕った。


                       ― 『夜の回想』 抜粋(1997)  山田勇男














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銀河画報社といえば、若くして世を去ってしまった湊谷夢吉(1950-1988)で、
彼らが描きだしたものの浮遊感は、映像技術が進歩した今をもってしても独特であり、
所在が無いという確固とした所在を、今も持っているように思います。










出典・画像 /  ©山田勇男 ©湊谷夢吉コスモス編集委員会








                     百芍丹

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by h_s_t | 2017-03-09 00:00 | 日々のこと
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