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カテゴリ:品々のこと( 55 )

猿楽面



狂言とともに「能」と総称されるようになったのは明治以降であり
現在で言われるところの能は 江戸期までは「猿楽」と呼ばれ、
その創始の正確なところは分かっていません。





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日本最古の舞台芸能である伎楽や
奈良時代に伝わった散楽に端を発するのではないかと考えられ、
散楽は当初、雅楽と共に朝廷の保護下にありましたが、
桓武朝の延暦元年(782年)、散楽戸の廃止以降
散楽師たちは寺社や街角などで楽しくその芸を披露するようになります。


この雑芸のうち、物真似などの滑稽芸を中心に発展していったのが猿楽と言われます。
当初は物真似だけでなく、散楽の流れをくむ軽業や手品、曲芸など、多岐に渡る芸能が行われました。



演目「福広聖の袈裟求め・妙高尼の襁褓乞い」
   僧侶が袈裟をなくして探し回る
   独身の尼さんに乳児用のオムツが必要になる

演目「京童のそらざれ・東人の初京上」
   口の上手な京童と、おのぼりさんの東人の珍妙なやりとり

           ─── 『新猿楽記』平安時代末期 / 藤原明衡



演目から、当時の都人たちの抱腹絶倒していた様子が伺えます。



ただ、同資料から興味深い言及が見られます。                 

平安時代中期頃より、神道的行事が起源の田楽、
仏教の寺院で行われた延年という芸能も興り、それぞれ発達し
猿楽へ影響を与える最中。

咒師と呼ばれる呪術者たちへの言及や演目が見られることから、
咒禁道の影響を受けた儀式を芸能と融合させた猿楽の創始型がこの時期に存在しており、
これは野に降りた陰陽師や神人たちの儀礼が介在するわけで
それらがこの時期の猿楽の基礎や発展に何らかの深い影響を与えています。














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その後の鎌倉から室町期。

猿楽は寺社の法会や祭礼に取り入れられたため、猿楽は寺社との結びつきを強めます。
最初は前時代同様に余興的なものとして扱われていましたが、寺社の祭礼の中に猿楽が
重要な要素として組み込まれるような現象も起き始めたのは、寺社の由来や神仏と人々の関わり方を解説するために、
猿楽の座が寸劇を演じるようなことがあったからと思えます。
これらがやがて「猿樂の能」となり、公家や武家の庇護をも得つつ、現代の能や狂言に発展していったと言われています。


もともと猿楽演者は大和において極めてマージナルな「七道の者」。
漂泊の白拍子、神子、鉦叩、鉢叩、猿引きらとともに下層の賤民とされ
同じ賤民階級の声聞師の配下にありました。
最も注意深く見るべき変化の時代でありながら、史実資料は出ても
当然ながら彼ら自身の資料は最も出にくい。

観阿弥や世阿弥らの登場によって現在の能楽とほぼ同等の芸能としての猿楽が形作られ
桃山期の隆盛、現代能の出発点を形成します。




注視すべきは、集大成させた観阿弥と世阿弥はそれぞれ時宗系の法名を持っており、
時宗の踊り念仏の持つ鎮魂儀礼としての側面を、猿楽(能)はこの時期持ち合わせていたことが分かります。
同時期に勧進聖が上演した唱導劇(仏教の教理を説く劇)の隆盛。


これらは民衆を対象として仏教の教義を見せ、寺社の造営資金を集め、地侍や台頭した戦国大名の庇護に入ります。
生身の人々を主な観客と想定する仏教を意識した芸能へと進化していったわけで
前時代の猿楽に組み込まれていた咒禁道の影響を受けた儀式を芸能と融合させたものが
超自然的な存在を肯定していたものとする陰陽道を含む呪術的要素あるものとすると、
七道というどちらかと言えばそこを出身とした人々の末裔によって、
相反する仏教的に自ら塗り替えられた極めて不可思議な宗教変遷の一端を、
芸能という活動の中に垣間みることができるように思います。






しかしながら自分は、個人的にはあの反閇(へんばい)や禹歩(うほ)(※いずれも道教や陰陽道下の方術)を思わす足運び、
立ち居、所作、声聞の原型はやはり仏教以前の散楽や猿楽の形態に、能はその骨子を完成させていたように思えてなりません。
















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猿楽面(男面)  室町期-桃山期   御売約




【10/30(日)の営業は18時までとなります】
29(土)は通常通り13時~19時の営業、翌30(日)は18時までの営業となります。
詳しくは「10/30(日)18時までとなります」にてご確認くださいませ。










                   百芍丹
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by h_s_t | 2016-10-29 10:00 | 品々のこと

白丹波 午后 金木犀

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それは、本来それぞれに完結しており
人がそれに介在するのは 少し億劫にさせるような時もあり

一見は人の世の関係にも通じるような気もしますが
それはやはり、自分たちとは異なる花という生き物なのだと思います。






知識ではなく花を知りたいという気持ちで
花を生けることは十分なのだと教えられましたが
花を知ろうとしないのではなく、
目に訴える「生ける」という行為が無駄に思える刹那。


自分などは香りの強い花に出会うとそう思い、
加えて金木犀という花は特別な何かを思います。






香りの似た、銀木犀の亜種であり、
春の沈丁花に並ぶ香花。








Düfte sind die Gefühle der Blumen.

              ─────   香りとは花の感情だ


「ハルツ紀行」抜粋(岩波1933底本-内藤匡訳)
         ───  Christian Johann Heinrich Heine / 1797-1856





そう感情と言い表したのはハイネであり、ロマン派と一括りにできない
動乱期を過ごした末の男の、言葉のように思います。

美文と評されたり揶揄される「清げ」なものは
得てして、多くの濁りに耐えた末の所産のものも多く。


















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生ける前の時が 最も蜜な関係性をつくるときもあるように思います。

花を考えると それは短い時間ですが。








生けないで終える

生けられはしないという選択は、

傍を求め合った

「親密な終わり」のひとつかもしれません。




















秋、人をふと立ち止まらせる

甘いつよい香りを放つ

金色の小さな花々が散って

金色の雪片のように降り積もると、

静かな緑の沈黙の長くつづく

金木犀の日々がはじまる。


金木犀は、実を結ばぬ木なのだ。


実を結ばぬ木にとって、

未来は達成ではない。


冬から春、そして夏へ、

光をあつめ、影を畳んで、

ひたすら緑の充実を生きる、

葉の繁り、重なり。つややかな

大きな金木犀を見るたびに考える。


行為じゃない。

生の自由は存在なんだと。


           ───  「冬の金木犀」抜粋 / 長田 弘 1939-2015

















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白丹波 江戸末期  御売約 個人蔵



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                   百芍丹
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by h_s_t | 2016-10-28 03:03 | 品々のこと

野戦 転戦 静謐かな

岡山の山中で書かせていただいています。






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川近い林道

今夜は車中泊です



















店舗の移転以降、何もかも初心でやり直しと
仕入れの転戦を続けさせて頂いています。




全く効率的ではなく、教科書的でもありませんが、
品物以外の何かを知るようで
知るものは 単に風土と、簡単に一括りにもできないように感じます。






















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満月を過ぎ、わずかに欠けた月ながらも 星月夜

「星月夜」

言葉の通りの夜に思います。





青い重い 闇

山というものも 夜にはその重さを知らしめ








敬愛する民俗学者たちもこうした夜を過ごしたのかなどは考えず、
室町や江戸期の人々もこうした夜を見たのかとも考えず、
動物的にただそこに夜がある感覚の方が強くなってきます。






















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夜の山というものは 一人という感覚でもなく
静謐なようでいて、さまざまな気配の騒がしさもあり
イメージとは裏腹に確かな生(せい)の
可視できぬゆえの勉強があるように感じます。





























古銅 錫杖先 御売約 個人蔵














                      百芍丹
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by h_s_t | 2016-10-18 00:23 | 品々のこと



出会うさまざまな方々。

相手も自分の鏡像であるのかと考えた時期もあったのですが、
もしそうだとすると、
卵が先か鶏が先かという話と同様に思います。










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像を歪ませない努力や自主性の尊さを、
鏡は教える気がします。











高麗鏡 Goryeo dynasty old copper mirror / 10-14th Century  Korea

※鏡/古語韻でカケミ(影見)、さらに古い古語韻でカカ(蛇)メ(目)
  さらに古い時代の韻の意味は分かっていない。


【移転のお知らせ】
当店、 現在移転準備中です (西ノ京・円町での営業は2015年に終了致し
ました)。
営業の再開に関しましてはまたこの場よりお知らせさせていただきます。
商品を別途倉庫に移管しているため、商品ご注文のお客様各位にはご対応
叶わず、ご迷惑をおかけしてしまい平伏の次第です。








                               百芍丹
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by h_s_t | 2016-05-23 01:10 | 品々のこと

恋を繋いだ小品  ───── 幕末期 型物皿


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幕末期に生まれ、明治の終りとともに
新たな製法に引き継がれ
わずか半世紀で忽然と姿を消していきます。

骨董の歩を進めていくと、この道に入った頃の初い気持ちを忘れ
小品の裏側に佇むものを見落としがちですが
自身もふと思い立ち思い巡るときがあります。











呼称として、型皿、型物皿と呼ばれることがありますが
この器群を指す明確な呼称というものを、ほぼ耳にしません。


器の品格でいうと、上手(じょうて)か下手(げて)で分けると
上手ではなく、現代感覚では長らく下手とされてきましたが
当時の感覚でよくよく考えると、単純に下手とも言い切れないように
僕は感じています。


現代から見た、そうした二項対立のような分類に当てはめるべきではないのかもしれない、
粋のある品々のうちのひとつに感じています。














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画題に選ばれたモチーフは、文様化された花や神獣、空想獣など。


研究対象になりづらい時代性の品というのもあったのか、
幕末という濃密な時間の中に、彼らがどう活躍し、どういった記憶を宿したのか
ほとんど知られることは無く、長らく時間が過ぎていったような印象で
彼ら自身はその小さな体つきもあるのか、微笑ましく黙っていたような佇まいです。


実用においては、ほどよい径と、独特の深さのある品で、
出番がなぜか増える、使い勝手の良さがあります。














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1980年代くらいまでの物の本には、「瀬戸製」とされていることも多いのですが
後年、その多くは伊万里で生まれ、瀬戸には後年伝わっていたことが分かってきています。

木型などによる押し型成型が試され、小さな品ということもあり
製造効率は前時代より、わずかに向上したことが窺えます。






彼らは幕末期に、今でいう酒宴を楽しめる料亭や、
料理とともに政治的な話なども交わせるような
一定の格を持つ遊郭などで活躍していたことも、
朧げながら分かってきました。

今もって使い勝手が良いと感じる形状の秘密は
そうした場所の、当時の第一線の料理人たちも愛用していた
今で言う形状計算の行き届いたプロユースの器、という点にあるのかもしれません。















形状だけでなく、意匠にも心配りはあるように思います。

細密型でありながら、目にうるさくない小気味良さを感じる意匠は
しつらえの主役級にはならずとも、彼らが静かに脇役としていることで、
食事や酒席はぐっと深みや味わいが増す、そんな名脇役たちに思います。


捻梅(ねじりうめ)が春を、宝珠菊が秋を添え、主役の季節感を支え
麒麟などの神獣がきりっとした慶賀を、箸を取る者に伝える。


小品ながら いずれもが濃密さを感じる図案化がなされている意味合いを、そこに感じます。












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手塩皿(今でいう調味料用の皿)とされた解説も多く、
実際そうした使い方がなされた時もあったかと思いますが、
彼らは膳の上で酒肴を添える小さな向付のような役回りが
主な使われ方であったようです。


食べ終えると、図案が現れ、食べる者をふと喜ばせる
小さな小さな、ちょっとした気遣い。

小さいからこそ、その好意はわざとらしく無い印象です。




















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幕末期

動乱のさなか







彼の行動力や人物像のイメージからなのか
そうした、穏やかな、ふとした日常の姿は
歴史に残らない話になってしまっていますが、
この小品を、深く愛した人物が居ます。














 薩摩藩士 西郷隆盛








維新後は、大日本帝国陸軍の初代元帥と
明治新政府参議(政府首班)を兼任。











日本の黎明に立ち会った、「維新の三傑」で
今なお、鹿児島の方々はじめ、日本中に
その清廉で屈強たる仕事ぶりと、人間味溢れる人物像を慕う人は
多いのではないかと思います


明治10年(1877年)、西南戦争の陣中に没。
享年51歳。






時の明治天皇からも深く愛され、天皇は彼の死を耳にし、

「西郷を殺せとは言わなかった」

と洩らしたと言われています。









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その、仕事における人物像は、「うどさぁ(=偉大なる人)」と賞され
坂本龍馬(土佐脱藩)、桂小五郎(長州藩)で知られる、
薩長同盟から、まさに時代は大きく変わっていきました。




肖像画どおりに目は大きく、しかも黒目がち。
その眼光と巨眼でジロリと見られると、「人斬り半次郎」という異名を持つ
桐野利秋(薩摩藩)のような剛の者でも、舌が貼り付いて物も言えなかったと言われています。

加えて、異様な威厳があり、参議でも両手を畳について話し、
目を見ながら話をする者が居なかったといわれています。 — (長庶子・西郷菊次郎談)


















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そんな彼においてもプライベートはあり、諸々の資料や文献が、
彼の穏やかで優しい、プライベートでの人物像を伝えます。





中でも、彼の私生活面を物語る、興味深い戦前の書籍があります。

『維新侠艶録』、井筒月翁著(萬里閣書房 1928年)。




序文は



  「男」のための維新史は多い。 「女」のための維新史ありや。

  <中略>

  いずれも談屑維新の渦中を出でず、順序もなくノートせるもの、

  この冊子の骨となる。

  史実としてみるには無論不充分であろう。

  しかし一夕の感興としてのみ 聞き捨つるにはあまりに惜しい。

  <中略>

  “女”の側から維新を見、志士たちの知られざる素顔を活写する、

  聞き書き維新裏面史。 




と始まります。



女性たちが聞き及び、体験した幕末維新史や、志士たちの素顔を
存命した彼女たちの口伝から記録した書籍で
近年復刊もなされました。








京都の祇園新地に中西|君尾《きみお》をたずねると、

いつも長火鉢のそばでお茶をのみながら

ゆっくりゆっくり京なまりで話してくれた。

中風が起りかかったころであった。


維新当時の活きた歴史ともいうべき、この老妓の口から、

「西郷はん」とか、「木戸はん」とか

呼ばれるのをきくと 異様の感じがしたものである。


                  — 「勤王芸者中西君尾の話」抜粋 維新侠艶録より




話は、芸者であった中西君尾の話から始まります。





















西郷隆盛の話は、やはり君尾からきいた。

<中略>

大西郷(だいさいごう/当時の市井での呼称・愛称)は酒席では、いかにも無邪気に遊んでいた。

そんなところをみると、偉いのやら馬鹿やら ちょっと得体のわからない人だった。


酒を呑んでも大きい声を出すでもなく、

ほかの志士のように元気一ばいに振舞いもせず、

ただ静かに邪気なく遊んでいた。







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彼は、奔走した京都の生活の中で、ある女性に恋をします。

それは芸妓や太夫でもない、脇役ともいえる、料理や酒を運ぶ仲居の一人でした。

あまり知られることの無い、彼の恋にまつわる一節があります。







肥った男は清(や)せた女、肥った女は瘡(や)せた男が好きだ、などとよくいうが

大西郷はその反対だった。


(自分も)肥(ふと)っていて 肥った女が好きだった。

ことに象のように肥満している女を愛したようであった。



そのころ奈良屋というお茶屋があった、後の金岩の場所である。

この奈良屋にお虎という仲居がいたが、非常に肥っていたので、

大西郷はお虎お虎と愛していた。



芸者などで大西郷に愛されたものはいないが、

このお虎だけは随分可愛がられたようである。



大西郷が、いよいよ幕府を討つために京都を出発するということになった。



お虎は別れを惜しんで、京都から大津まで駕籠をうたせて見送った。

大西郷は非常によろこんだ。

「戦の首途《かどで》に 虎が送ってくるちゅうは縁起がよか」

と大変な上機嫌で、褒美に三十両出した。

その頃の三十両というのはたいした金である。




お虎は西南戦争で、大西郷が死んだと聞いて、ひどく悲しんだが、

それから三年して 自分も死んだ。




「恐らく西郷さんから、女でお金を貰ったのはお虎さんだけでしょう」

と君尾はいっていた。



                  — 「恋の西郷隆盛」抜粋 維新侠艶録より











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彼の愛したお虎さん。


彼女が運んでいた料理がよく盛られていたのは
きっと、こうした器たちであったのかもしれません。






この器を見るたび、その後、士族たちの思いを一心に受けながら
自身は壮絶な死を遂げる西郷隆盛は、包囲の輪が縮まる中、
京都での短くも楽しい日々を想起していたかもしれず

と僕は思います。



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豆皿研究で知られる三好一先生の文献の中に、三好先生の血縁の方が、
当時、京都の島原で仲居の歴があったことから
この器群を、西郷隆盛がこよなく愛していたことが分かっています。



仲居さんであったその血縁の方は
店を辞めるとき、使われなくなっていたこうした器たちを、
わざわざ数点、大事に貰い受けたそうです。







西郷隆盛がこれらの皿たちを愛した理由は
あえて「わからない」とされていますが、
きっと、お虎さんという仲居さんを愛し大事にした、
西郷隆盛にまつわる少しふくよかなイメージや人間味ある話は、
そうした場所の中で、脇役である仲居さんたちの中では
他人に語るわけでもなく、ひそかに大事に語り継がれ
京都の歴史の片隅でそっと生きてきたのかもしれません。













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仲居さんたちの中で、自分たちの仕事に潤いを与える
古き佳き語り草の、象徴的な誇らしい品々であったのかもとも
僕は思います。





























道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。

天は人も我も 同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て 人を愛するなり。



                       — 『南洲翁遺訓』
 













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※写真出典1 / 国立国会図書館 早稲田大学図書館
※写真出典2 / 「日本の城」 昭和18年 ARS刊
          熊本城、維新後・西南戦争前の姿
※The photograph of the 8th row —
 Norio.NAKAYAMA©

※参議(さんぎ)/ 朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つ。「王政復古」
 により成立した明治政府においては、閣僚にあたる卿より上位で、閣僚たちを
 指導する政府首班たち。
※太夫(たゆう)/ 遊女、芸妓における最高位の称号。美貌と教養、品格を兼ね備
 えた、芸妓や遊女のみに与えられ、京の島原、江戸の吉原、大坂の新町、長崎の
 丸山にのみ称号は配置された。
 主に公家、大名、旗本ら上流階級や要人の酒席の相手をした。






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                               百芍丹
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by h_s_t | 2016-04-10 13:26 | 品々のこと

忘却



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台風が過ぎた今日の近畿は 日差しの強さを目深に忘れれば
動く風は一変して、
秋の到来を強く感じさせるものとなりました。



























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風雨の忘れられた古称に「野分」があるかもしれません。
歌や句などの世界では残るものの 常用からは外れ、
日常では遠く忘れられ 久しい語です。

それぞれの原風景のうちで草原や山並みが出てくる方が居られたら
台風というよりやはり「野分」と書いた方が
その風雨の勢いを好く表しているように
感じられる方は多いのではないかと思います。



立春から数えて二百十日目となるの9月1日から、
二百二十日に当たる9月11日まで。
古くから最も嵐の多い日。





旧制中学の国語教科には出てきていた
夏目漱石の連作を思い起こします。










 雨も煙りも一度に揺れて、余勢が横なぐりに、

 悄然と立つ碌さん(※登場人物)の体躯(からだ)へ

 突き当るように思われる。


 草は眼を走らす限りを尽くして

 ことごとく煙(けぶ)りのなかに靡(なび)く上を、

 さあさあと雨が走って行く。

 草と雨の間を大きな雲が遠慮もなく這い廻わる。

 碌さんは向うの草山を見つめながら、

 顫(ふる)えている。

 よなのしずくは、碌さんの下腹まで浸み透る。


    ───── 『二百十日』 抜粋  夏目 漱石 / 1867 - 1916







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漱石はこの「二百十日」に対(つい)して
「野分」 を書き上げています。

この作中で、
作品と、転機を迎えた漱石の本質を謳う
印象深い詞が出てきます。







 小き蝶の、小き花に、

      みだるるよ、みだるるよ。


 長き憂は、長き髪に、

 暗き憂は、暗き髪に、

      みだるるよ、みだるるよ。


 いたずらに、吹くは野分の、

 いたずらに、住むか浮世に、


 白き蝶も、黒き髪も、

      みだるるよ、みだるるよ。



    ───── 『野分』 抜粋  夏目 漱石 / 1867 - 1916







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人生における疑問、生き物としての矛盾は
何かの曲がり角で誰しも感じるときがありますが
その虚無を突き止めても、幸福という その本人にしか分からぬ 「実り」 は
多くの場合無いように思います。

その矛盾を受け入れ 折り合いをつける過程に
諦観や我慢というものがあるのであれば、「忘却」という代物こそ
彼らに衣装を着替えさせ、また理想や目標という正面を観させる
舞台監督のようなものなのかもしれません。


その対極に位置するものが、佳い意味で使われることが近代は多いながらも
意識や 取り巻く環境の変化向上を許さない
「頑固」という代物に思います。





心を亡くすということへの言葉の成り立ちに関しては
よく「忘」ではなく「忙」の字のことが話に上りますが
「忘」(みずから心をなくす)と「忙」(なにかにとらわれて心をなくす)の
性質の違いを考えると
「忘れ」というものは、時と場合によっては
やはり前向きな性格も大きく併せ持つ語にも思えます。





頑なであることも、また心の何かを亡くさせているのかもしれませんが、
そうあることでの心の喪失は、存外 「忘」 ではなく
人それぞれ自らが吐き出した何かにとらわれた 「忙」 のような気もして
自身はこうした事柄や輪に出会うと 自力では変えようの無いそれに
ただただ悲しくなるだけで
自分が創りだせる強い 「忘」 をもって
自分なりの前進につなぎたいと いつも思います。



人はあらゆる意味で 生のままに前進すべきだと感じています。












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 後絵忘 手塩皿   全御売約 個人蔵

※畿/ 都の古称。近畿はこの古称を用いて当用され続けている古い
 体系の言葉で、「都に近しい」の意。 畿内は五畿の内側の意味。
※五畿/ 古代の律令制のもと、朝廷が定めた行政区画で、時代ごと
 の古代朝廷が都を置いた大和、山城、河内、和泉、摂津の五ヶ国
 を指す。 これに準じて七道も設定された(道は古代における広域な
 行政区画を指し、北海道の呼称はその影響を受けて明治新政府に
 よって名づけられた)。
 北海道 (令制)が新設されてからは五畿八道と呼ばれ(令制後)、
 古代から明治という時代まで1000年を超え、五畿七(八)道は使わ
 れ続け、現在の日本各地の地方名の多く(東海、北陸、山陽、山陰、
 北海道など)もこれが由来となっていることから、現在も使用してい
 る範疇との見解も少数ながらある。
※野分/ 夏目漱石によって書かれた中編小説。 雑誌『ホトトギス』に
 1907年(明治40年)に掲載。この1907年は漱石にとって東京大学
 の講師の職を辞めることを公に発表し、『朝日新聞』へ投稿するなど
 本格的に作家として歩み始めた転機である。





【 西ノ京での営業終了のお知らせ 】
当店、2015年8月をもちまして西ノ京での店舗営業を終了させていただきます。
詳しくは『2015年8月をもちまして 同地での営業を終えます』をご覧ください
ませ。
移転地、その他情報につきましては、またこの場よりお知らせさせていただきます。









                            百芍丹
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by h_s_t | 2015-08-26 23:11 | 品々のこと

波音



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備前に近しい、Oという集落。



上古からの焼締陶の系譜を引き継ぎながらも、
室町から江戸期において
漁具と、この土地特有の 一つ目小僧のような塩笥しか作陶しなかった。

特殊な窯地に思います。










最後の窯も 遥か昔日に途絶え、今は忘却の眠りについています。







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古い民具たち

目にすると、目元で汐の音が聞こえる。



具体的な役に立たぬものが 「傍に居る」 大きな価値を、豊かに伝えます。

骨董の「役に立つ」は、何の実用も指さない場合があるように常々思います。






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 When I watch it, I imagine the ripples lap the beach.

 I feel charm even if no practical use.
 In thinking about a Kottō, I feel that the word to be useful may not
 hint at practical use.

























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 室町-江戸期 漁具(O集落)
 古墳期 瀬戸内 尖底土器(海上り)





【 西ノ京での営業終了のお知らせ 】
当店、2015年8月をもちまして西ノ京での店舗営業を終了させていただきます。
詳しくは『2015年8月をもちまして 同地での営業を終えます』をご覧ください
ませ。
移転地、その他情報につきましては、またこの場よりお知らせさせていただきます。







                            百芍丹
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by h_s_t | 2015-08-20 16:44 | 品々のこと





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松原遠く 消ゆるところ

白帆(しらほ)の影は浮かぶ

干網 浜に高くして

鴎は低く 波に飛ぶ

見よ 昼の海

見よ 昼の海


島山 闇に著(しる)きあたり

漁火(いさりび)光淡し

寄る波岸に 緩くして

浦風軽く 沙(いさご)吹く

見よ 夜の海


見よ 夜の海



    ───── 『海』 旧文部省唱歌 / 作詞作曲不詳





























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 盆が早よ来りゃ 早よもどる




 花はなんの花

 つんつん椿

 水は天から 貰い水



    ───── 『五木子守唄』 抜粋  / 発祥不詳




























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 戦前-終戦復興期 糸引文硝子
 大正期 古写真

※「水は天から貰い水」/ 死んだあと、水は天から雨として貰うから心配しないで
 の意。







【 西ノ京での営業終了のお知らせ 】
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                            百芍丹
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by h_s_t | 2015-08-19 16:38 | 品々のこと

遠雷


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僕は白い リンネルの服を着てゐた

君はうすネズミ色の服を着てゐた

二人とも同じやうなパナマ帽子を

眼深に被つて つよい光線を避けてゐる



あかるい軽井沢の夏



長野附近で出来る 青林檎がもう町に出てゐた

水晶の五重の塔や 仏像などならべた店

ポンポンダリヤ グラジオラス 矢車草 フランス菊

花々の花屋

それから アメリカン・ベーカリーの前を通るとパンを

焼く匂ひがした

踏切のベルが鳴つて 草津行きの電車が過ぎた

僕たちは離山の頂きの草に 腰を下して語つた

眼の下にゴルフリンク 落葉松の林

別荘 ホテル ホテルのロッヂ

僕たちは語つた 現実を離れたロマンを

ノヴァーリスの青い花のやうなロマンを



遠く雷鳴がきこえた



  小諸(こもろ)辺(あたり)だらうね



その方角を眺めて 恁(か)う言ひながら僕たちは やっと

ロマンからかへつた



    ───── 『 遠雷 』 田中 冬二 / 1894 - 1980










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少女がその村を立った日に

私は一人だけで 村の停車場まで見送った。


生徒割引票に名前を書くとき

鉛筆箱をひっくり返したので

私がそれを拾ったら

小さな鉛筆が二本と

やっぱり小さな消しゴムが 一つ入ってゐた。

少女は 少し恥かしさうに 優しく笑った。


汽車はじきに村から見えなくなって

私は帰り道、草にねて

長いこと 空の雲を見てゐた。



    ───── 『夏休み』 2より  野村 英夫 / 1917 - 1948



































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停車場のプラツトホオムに

南瓜(かぼちゃ)の蔓が匍ひのぼる


閉ざされた花の扉(と)のすきまから

てんたう蟲が外をみてゐる


軽便車が来た

誰も乗らない

誰も下りない



棚のそばの黍(きび)の葉つぱに

若い切符きりが ちよつと鋏(はさみ)を入れる



    ───── 『晩夏』  木下 夕爾 / 1914 – 1965























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 愛をつくりだす気分なら 過去のよう



    ───── 『 Woman・S 』抜粋





















 清朝 釉裏紅 魚藻文   御売約 個人蔵






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by h_s_t | 2015-08-18 22:28 | 品々のこと



 The summer of this year

 will end soon



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 われ、昔、

 この虫のかたちを知らず、


 ただ遠く そが音(ね)を聞きて

 さびしさに 涙ながしき。


 今 われ年たけて、人生(ひとのよ)の寂しさの

 まことの相(そう)を 知れるとき、

 真昼 松山(しょうざん)に入りて、 

 明らかに


 この虫の姿を見たり。




    ───── 『蜩(ひぐらし)』 西条 八十 / 1892 - 1970






































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 蝉もわたしも

 時がながれてゆく風


    ───── 種田 山頭火 / 1882 - 1940
















































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A votive tablet, an ema. Originally people donated a living horse to
Shinto shrine. And later people donated a picture of a horse. Ema
literally means “picture of horse.” Various designs were created
afterwards, every each Shinto shrine.

Tengu are a type of legendary creature found in Japanese folk religion
and are also considered a type of Shinto god (kami) or yōkai
(supernatural beings - touched by divinity).




























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八月の 

山の昼

明るみに

雨そそぎ

遠雷の

音をきく。



雨の音

雷の音

うちまじり

草は鳴る

八月の

山の昼。


をりからに

空青み

日は照りぬ ────

静かなる

色を見よ

山の昼。



    ───── 『晴間』  三木 露風 / 1889 - 1964


















 古絵馬天狗 烏天狗図

※ヒグラシ/ 漢字表記は蜩、茅蜩、秋蜩、日暮、晩蝉など。晩夏ではなく、秋を告げる季語。









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                            百芍丹
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by h_s_t | 2015-08-17 21:15 | 品々のこと