カテゴリ:日々のこと( 46 )

new vibes ───── movie in Kyoto




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Sturm und Drang

「疾風怒濤」と和訳されたためにそうした意味で理解されることも多いですが、
ドイツ語から直訳するならば「嵐と衝動」が正しいようです。

山田勇男監督、10年ぶりの新作となったわけで
京都においては一昨年の立誠シネマ主催の『銀河画報社の夜』における
「巻貝の扇」、「ポエオティアの山猫」、「銀河鉄道の夜」などの前期作品群、
そして、つげ義春原作の「蒸発旅日記」と再び楽しめたのは僥倖に思います。























自身、前期作品群と初めて接したのは20代前半の頃で
今は無くなってしまった京都・大宮のスペースベンゲットでした。
映画館というよりは、良い意味で「映写小屋」に近かった。

上映される映画の質は、ユーロ・スペースなど東京の名立たる小劇場に
引けをとらなかったように思い出します。



彼らの作品群は小シネマ系と括られがちながら、
小シネマにしか出せない映像の浮遊感などをしっかり出色しており
寺山修司以上に詞的な仕上がりと、また京都という土地で観るからこそ
そうした空気感も存分に充満していた感が、あったように思います。

























「あの空を涵してゆく影は地球のどの邊の影になるかしら。

    あすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」

                           梶井基次郎―『冬の日』

僕らがタルホ(稲垣足穂)の世界を映像化しようと、
質屋の暖簾を叩いたのが二十年前の六月の夕暮れ時だった。
僕らとは、もうひとり湊谷夢吉だった。
ふたりが出会ったデザイン会社の近くに、第三モッキリセンターという
安酒屋があって、いつも盃の数よりもたくさんの会話で満たされていた。

僕にとっての湊谷さんは、イデーの兄である、そう思って慕った。


                       ― 『夜の回想』 抜粋(1997)  山田勇男














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銀河画報社といえば、若くして世を去ってしまった湊谷夢吉(1950-1988)で、
彼らが描きだしたものの浮遊感は、映像技術が進歩した今をもってしても独特であり、
所在が無いという確固とした所在を、今も持っているように思います。










出典・画像 /  ©山田勇男 ©湊谷夢吉コスモス編集委員会








                     百芍丹

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by h_s_t | 2017-03-09 00:00 | 日々のこと

三寒四温へ          1

それは ある本屋の二階だった。




 二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子(はしご)に登り、
 新しい本を探していた。

 モオパスサン、ボオドレエル、ストリンドベリイ、イプセン、ショウ、トルストイ・・・・・・
 <中略> 彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。

 そこに並んでいるのは 本というよりもむしろ 世紀末それ自身だった。


              ───── 「或阿呆の一生 / 一   時代」 より

                    芥川 龍之介





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  百年余前の春の萌芽へ














自分は 『新思潮』 同人の一人となれり。

発表したきもの あるにあらず。
発表する為の準備 をする為也。

表現と人とは一(ひとつ)なり とは真なりと思う。
自分は弦のきれたる胡弓(こきゅう)をもつはいやなり。
これより弦をつながむと思う。


              ───── 1914年1月 芥川龍之介(作家胎動期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋



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時々又 自分は一つも思った事が出来た事がないような気もする。

いくら何をしようと思っても、「偶然」の方が遥に大きな力で
ぐいぐい外の方へつれ行ってしまう。
全体 自分の意思にどれだけ力があるものか疑わしい。


              ───── 1914年3月 芥川龍之介(作家胎動期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋


















東京ではすべての上に春がいきづいている。

平静なる しかも常に休止しない力が
悠久なる空に雲雀(ひばり)の声を生まれさせるのも
程ない事であろう。


すべてが流れていく。

そして すべてが必(かならず)止るべき所に止る。


              ───── 1915年2月 芥川龍之介(作家胎動期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋



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いつ 僕のゆめみているような芸術を
僕自身うみ出すことが出来るか。

考えると心細くなる。

すべての偉大な芸術には
名状する事の出来ない力がある。


              ───── 1915年12月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    山本 貴誉司宛 書簡 原文抜粋




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※「或阿呆の一生(あるあほうのいっしょう)」/ 1927年、芥川の死後に見つかった
 文章で、自分の人生を書き残したと思われている。

※新思潮/ 『帝国文学』に対抗して創刊された日本の文芸誌。大正文学の一つの
 拠点になった。
※胡弓/ 多くのものは3本の弦を持つ和楽器。
※井川 恭(1888-1967)/恒藤恭。法学者。一高時代の同級生。卒業後も、信頼
 おける良い親友関係は長く続く。
※一高(=旧制第一高等学校)/現在の東京大学(教養学部)等の前身となった学
 校。一高の卒業生の多くは東京帝国大学へ進学。
※山本 貴誉司(1892-1963)/ 府立三中時代の同級生。後年に芥川の妻となる
 山本文の叔父にあたる。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。 改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。









                           百芍丹
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by h_s_t | 2017-03-08 12:00 | 日々のこと

三寒四温へ          2




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あなたのものは 大変面白いと思ひます

落着があつて 巫山戯(ふざけ)てゐなくつて

自然其儘(そのまま)の可笑味(おかしみ)が おつとり出てゐる所に

上品な趣があります

<中略>

あゝいふものを是から二三十並べて御覧なさい

文壇で類のない作家になれます



              ───── 1916年 夏目漱石(晩年期)
                    芥川龍之介 宛て書簡 原文抜粋




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夏目先生が大へん「鼻」をほめて、
わざわざ長い手紙をくれた。

大へん恐縮した。


              ───── 1916年3月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋



※鼻 / 同人であった『(第四次)新思潮』の創刊に際し、作品「鼻」を発表。同人内
 では酷評されるも、夏目漱石を皮切りに文壇・文藝界は絶賛をはじめる。
 新進作家として扉がようやく開き、以後芥川は耳目を集める存在となる。

 芥川は大きな緊張のもとに夏目漱石をすぐに訪問。以後、漱石を深く慕い門下と
 なり夏目も芥川を温かく見守るが、両人知らず、夏目の死期が近づいている。






















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本をよむ事と かく事とが(論文も)
一日の大部分をしめている。

ねてもそんな夢ばかり見る。



何だかあぶないような

そうして愉快のような気がする。


来るものをして 来らしめよ と云う気がする。


              ───── 1916年3月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋







書きたい事が沢山ある。

材料に窮すると云う事はうそだと思う。

どんどん書かなければ材料だって出てきはしない。



              ───── 1916年7月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋







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※井川 恭(1888-1967)/恒藤恭。法学者。一高時代の同級生。卒業後も、信
 頼おける良い親友関係は長く続く。
※一高(=旧制第一高等学校)/現在の東京大学(教養学部)等の前身となった
 学校。一高の卒業生の多くは東京帝国大学へ進学。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。









                           百芍丹
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by h_s_t | 2017-03-07 12:00 | 日々のこと

三寒四温へ          3



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先生。 また手紙を書きます。


我々の長い手紙をお読になるのは、御迷惑だろうと思いますが、
これも我々のような門下生を持った因果と御あきらめ下さい。

その代り御返事の御心配には及びません。
先生へ手紙を書くと云う事が それ自身
我々の満足なのですから。


<中略>


どうかお体を御大事になすって下さい。
修善寺の御病気以来、実際我々は
先生がね(寝)てお出でになるというと ひやひやします。

先生は少くとも 我々ライズィングジェネレエションの為に、
何時(なんどき)も御丈夫でなければいけません。

これでやめます。



廿八日                  芥川竜之介
 夏目金之助様 梧下




              ───── 1916年8月28日 芥川龍之介(新進作家期)
                    夏目漱石 宛て書簡 原文抜粋




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お手紙二通とも拝見しました。

難有(ありがと)う。

毎日さびしく暮している身になると これほど嬉しいものはありません。
今 東京からかえったばかりです。

東京へ行っては 二晩つづけて御通夜をして
それから御葬式のお手伝いをして来ました。




勿論(もちろん) 夏目先生のです。




僕はまだ こんなやりきれなく
悲しい目にあった事はありません。

今でも思い出すとたまらなくなります。

始めて僕の書く物を認めて下すったのが
先生なんですから。

そうしてそれ以来 終始僕を鞭撻して下すったのが
先生なんですから。

こうやって手紙を書いていても先生のことばかり
思い出してしまっていけません。


<中略>


何だかすべてが
荒涼としてしまったような気がします。
体の疲労が恢復(かいふく)しきらないせいもあるのでしょう。

あした早く起きなければなりませんから
これでやめます。
 匆々。


十二月十三日夜                  芥川竜之介
 塚本文子様 粧次




              ───── 1916年12月13日 芥川龍之介(新進作家期)
                    塚本文 宛て書簡 原文抜粋












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※夏目金之助[夏目漱石(1867-1916)]/東大英文科卒。1905年処女作「吾輩
 は猫である」を執筆し高い評価を得る。門下生たちに敬われつつ「明暗」執筆中
 に逝去。享年49歳。
 手紙の前年の1915年に芥川が発表した「鼻」を激賞。若き芥川が作家の道を歩
 む大きな一歩を与え、芥川も漱石を親しく師と仰ぎ、学識と人格を尊敬していた。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。

※梧下(ごか)/手紙の脇付に用いて敬意を表す語。梧右・机下など類語。
※匆々(そうそう)/草草に同じ。手紙文の末尾に急ぎ走り書きをしたことをわびる
 意で、書き添える語。
※粧次(しょうじ)/女性あての手紙の脇付に用いる語。










                           百芍丹
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by h_s_t | 2017-03-06 12:00 | 日々のこと

三寒四温へ          4



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文ちゃん。


僕はまだこの海岸で、本を読んだり原稿を書いたりして暮らしています。
何時頃うちへかえるか それはまだはっきりわかりません。
が、うちへ帰ってからは、文ちゃんにこう云う手紙を書く機会が
なくなると思いますから、奮発して一つ長いのを書きます。
 
ひるまは仕事をしたり泳いだりしているので、忘れていますが、
夕方や夜は東京がこいしくなります。
そうして早く又 あのあかりの多い にぎやかな通りを歩きたいと思います。
しかし東京がこいしくなると云うのは、東京の町がこいしくなるばかりではありません。
東京にいる人もこいしくなるのです。


そう云う時に 僕は時々
文ちゃんの事を思い出します。



文ちゃんを貰いたいと云う事を、僕が兄さんに話してから何年になるでしょう
(こんな事を文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか知りません)。



貰いたい理由は たった一つあるきりです。
そうしてその理由は 僕は文ちゃんが好きだと云う事です。
勿論(もちろん)昔から好きでした。
今でも好きです。
その外に何も理由はありません。



僕は世間の人のように結婚と云う事と、いろいろな生活上の便宜と云う事とを
一つにして考える事の出来ない人間です。
ですからこれだけの理由で兄さんに文ちゃんを頂けるなら頂きたいと云いました。
そうして それは頂くとも頂かないとも
文ちゃんの考え一つできまらなければならないと云いました。


僕は今でも兄さんに話した時の通りな心もちでいます。
世間では僕の考え方を何と笑ってもかまいません。


<中略>


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僕のやっている商売は今の日本で一番金にならない商売です。
その上、僕自身も碌(ろく)に金はありません。
ですから生活の程度から云えば 何時までたっても知れたものです。
それから僕はからだもあたまも あまり上等に出来上がっていません
(あたまの方は、それでもまだ少しは自信があります)。
うちには、父、母、叔母と、としよりが三人います。




それでよければ来て下さい。


僕には文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思っています。


繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。

それでよければ来て下さい。




この手紙は人に見せても見せなくても文ちゃんの自由です。


一の宮はもう秋らしくなりました。
木槿(もくげ)の葉がしぼみかかったり
弘法麦の穂がこげ茶色になったりしているのを見ると心細い気がします。
僕がここにいる間に 書く暇と書く気とがあったら、もう一度手紙を書いて下さい。
「暇と気とがあったら」です。書かなくってもかまいません。
が、書いて頂ければ、尚うれしいだろうと思います。

これでやめます。 皆さまによろしく。


                    芥川竜之介



              ───── 1916年 芥川龍之介(新進作家期)
                    塚本文宛て書簡 原文抜粋
















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※文(ふみ)ちゃん[塚本文(1900-1968)]/後(1918)に芥川と相思相愛に結婚。
 父を早逝、母の実家山本家に育つ。母の末弟が芥川の友人で、幼い頃から芥川に
 親しんでいた。芥川の多くの作品に登場し、芥川自身、深い愛情を捧げていた。
※文頭の「大正五年八月廿五日朝 一の宮町海岸一宮館にて」は、冠省させていた
 だきました。ここに注釈致します。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。








                          百芍丹
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by h_s_t | 2017-03-03 12:01 | 日々のこと

三寒四温へ          5


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チェホフはご承知の通り、「桜の園」の中に新時代の大学生を点出し、
それを二階から転げ落ちることにしています。
わたしはチェホフほど新時代にあきらめ切った笑声を与えることはできません。
しかし又 新時代と抱き合うほどの情熱も持っていません。


なお又わたしはブルヂョオワたると否(いな)とを問わず、
人生は多少の歓喜を除けば、多大の苦痛を与えるものと思っています。
これは近頃Nicolas Ségurの書いた「アナトオル・フランスとの対話」を読み、
一層その感を深くしました。
ソオシアリスト・フランスさえ彼をソオシアリズムに駆りやったものは

「軽蔑に近い憐憫」

だと言っています。


右突然手紙を差し上げた失礼を赦して頂ければ幸甚です。
頓首。


  昭和二年 三月六日              芥川竜之介
  青野季吉 様


              ───── 1927年 芥川龍之介(晩年期)
                    青野季吉宛て書簡 原文抜粋




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※青野季吉(1890-1961)/評論家。大正後期から『種蒔く人』、『文藝戦線』
 同人になりプロレタリア文学の擁護者、理論家として活躍。
 芥川の死後、二次大戦勃発。戦後に「通俗小説に納まる俗物性に我慢のな
 らない彼等の作家精神こそ重大」と批評(昭和25年)。
※同時期、文芸界含め、知識・文化人層は左傾化を良心の責務と考える風潮
 が介在し、共産主義思想に信を置くことができなかった芥川は、一転、「ブル
 ジョワ作家」の代表として罪なく攻撃のターゲットとなり、何知らぬ人からも誹
 謗中傷が集中。精神を衰弱させる一因となった。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。








                          百芍丹
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by h_s_t | 2017-03-02 16:16 | 日々のこと

三寒四温へ、遡る


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  同年(昭和二年) 芥川 龍之介、
  「ぼんやりとした不安」という言葉を残し
  永眠。 享年35歳。

  1892年(明治25年)3月1日生まれ。










  彼はペンを執(と)る手も震えだした。

  のみならず涎(よだれ)さえ流れ出した。

  彼の頭は0.八のヴェロナアルを用いて覚めた後(のち)のほかは
  一度もはっきりしたことはなかった。

  しかも はっきりしているのは やっと半時間か一時間だった。

  彼はただ薄暗い中に その日暮らしの生活をしていた。


  言わば 刃のこぼれてしまった、細い剣(つるぎ)を杖にしながら。

                     (遺稿 最終項)



              ───── 「或阿呆の一生 / 五十一   敗北」より
                     芥川 龍之介 












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※「或阿呆の一生(あるあほうのいっしょう)」/ 1927年、芥川の服毒自殺後に見つ
 かった文章で、自分の人生を書き残したと思われている。

※ヴェロナアル/バルビタール。1903年から1930年代中ごろまで使われていた睡
 眠薬。







                        百芍丹

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by h_s_t | 2017-03-01 12:00 | 日々のこと

New Breed of Geniuses.

.

henlywork



氏とのお出会いは数年前
ある日、偶然に遊びに来ていただけました。

そして、新しい作品が構成される度に、出来たばかりの作品を携え
いつもお見えになられました。






積上げの理論化云々ではなく、優先されたのは「背景」そのものに感じます。


初期の頃から痛いほどに映像を醸した音で、
いきなりの天才の出現に、驚愕したとしか言いえずの自分を晒したことに
躊躇は全く無かったように記憶しています。




















その後もある種の制約の中で、制約に反比例する大きな力を肝に落とし
完全に武装したり、武装を解き無手を楽しんだりの「融通無碍」な「遊び」を従えて、
進化する天才らしさを発揮されているように感じます。






























かつての、Perfumeのカンヌでの部門銀賞は記憶に深く、
動体への Projection Mapping や
Webを通じての「遊び」の感覚が交錯するマテリアルの提供と再編集など
新しい演出域にまず目を捕らわれましたが、
その逆の、非常に古い歴史観や背景そのものに注目すべき点が多かったようにも思います。

一例には、数学の持つ原初的な美と謎、理想平衡も、実に細かな所までそこには使われ、
語られてはいませんが確信的に真鍋氏も行っていたのではなかろうかと感じます。


偶然にも、1991年以降Coqが用いているCalculus of Constructionsの変種も、
帰納的構成を直接含みながら、source(根源)に近づき証明を行う特性を持ちます(Ex.Four Color Theorem)。













かつて、竹村延和氏が音楽よりも、音が出る空間や環境、物理学的側面そのものへ
スリリングに回帰した時期を見せたり、小林径氏が”Routine”のその1stにおいて
「最も力強い音楽は言わずもがな宗教音楽である」と、
異色すぎる曲を選考したりと、あらゆる創造家が
”「遊び」や「音」というものがその原初に持つ姿”を探す片鱗は、
新しい音楽家たちの残す興味深い聖痕(Stigmata)とも思えます。

「source(根源)」を探す。戻る。











古い物と何ら関係の無くも見える話ですが、
音楽、映像をなさっておられる方々とも縁が深まることが多いような気がします。

そして「背景」や「落差」の手がかりのひとつとして、そうした方々の
お役に立ったことが僅かでもあったのであれば
とても嬉しく思います。




氏同様の、sourceをめぐる新しい天才たち。

機会に恵まれればこの場で、僭越をあえて大きく飛び越し、
ご紹介させていただきたいと思います。



こうした方々に出会うことは、音楽はまだ死なず
音楽が新しい命の宿主を探し続けていることに向かい合うかのようで、
望ましいモデルやフォーム、お手本、パターンを人々に浸透させ
救い難い錯覚と礼賛する様を蔓延させることとは、
全くの異質であるように感じます。





























   henlywork
     soundcloud.com/henlywork 
      chalkboy






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 Sir henlywork , Thank you for your sweetness .





 
                                 百芍丹
.
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by h_s_t | 2017-02-28 16:16 | 日々のこと

Minimal Music









音の動きを最小限に抑え、スケール反復と音型パターンの固定反復を
旨とした音楽ジャンルで、世界的第一人者としてはスティーヴ・ライヒや
テリー・ライリーが頭に出てきます。


自身もOctet-Eight Linesなどの曲は、僭越ながらも店内でたまにかけていたりします。
















静的な変化を繰り返す様は、ドゥルーズ哲学におけるジェイムズ・ウィリアムズの語る
「差異と反復」に書かれる、反復が予期と変化の条件であることを想起させることがあります。












端的に実験的作品のような評価がされることも多いのですが、
このジャンルのはじまりをどこと捉えるかは、一般論においては難しく
エリック・サティとするのか
強い影響を与えている反復性だけを注視すると
土着の宗教音楽や民族音楽を根源に持つのか
(ライヒ自身アフリカ音楽やガムランなどの研究を行っている側面を持つが)。


僕自身の考えの中では、プロセスはどうであれ探るべきソース(根源)は
非常に古いものや、原体験から、このジャンルは日々生まれ続けているように思います。















リチャード・D・ジェイムスのAphex Twin名義での久々の新譜「Syro」が出て、
かなり突き抜けた変化を見せたなと思いながらも(変化の多いアーティストでもある)、
初期における「Ambient Works 85-92」のシリアスな展開は
単純に、テクノ、アンビエント、エレクトロニカと言われる枠から外れ
意外にも、反復や音型枠という軸を外して眺める
遡行性という、ミニマル・ミュージックとの共通感覚を感じることも多いです。




遡行においては、人のつながりも本来はそうしたものが
深く影響しているようにも思っています。

超心理学的なオカルトめいた不明な話は抜きにして、
随分前、記憶の以前、そうした印象から知っているような人物や
ある人と居ると既視感(デジャヴ)を多く感じたり、
その人と一緒に物を見ると、物からの言語外現実(realia/レアリア)※を強く感じたり。


そういう人々と生きているうちに巡り会うことは
とても価値があることと個人的には思っています。





















骨董や古物とて、軸の外し方は難しいのですが
そういうアプローチができるのではないかなと、
思うときもあります。









※言語外現実(realia/レアリア)/言葉の背後にある、我々が感得できる本来の
 文化的内容(現実、実物)。つまりは言語とそれをとりまく内容によって、人間は
 「第二の自然や現実」といえる文化的な現象を自分たちでつくっている。
 例えば、「水」という言葉の言語外現実は「無色透明な流動性ある何か」である
 ということを、視覚や体感を通して得る内容のこと。
 (Ex./西田哲学-純粋経験 等)









             百芍丹

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by h_s_t | 2017-02-27 12:00 | 日々のこと

蝋梅 ― ろうばい

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  まばゆしや 君をし見れば

  薄ら氷(ひ)に 朝日かがよふ


  えふれじや 君としをれば

  蠟梅の花ぞ ふるへる


  冬こそは ここに  ありけめ









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          「 冬 」 (旧版底本)   芥川 龍之介 / 1892 – 1927 
 














 
                           百芍丹
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by h_s_t | 2017-02-26 12:12 | 日々のこと