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カテゴリ:日々のこと( 35 )

リアリズム  ───── 西域途上 / 華南-安南





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ぼやけている


どちらでもよい



















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安南の古い雑器の全てがそうでなくとも
散見される品の、一見笑顔の表情は
たまにそうした「感じ」の表情をする。


精緻で無比な造形よりも、イデアの無いリアリズムを感じ
笑みながらも、自分は少し「こわいな」と思ってしまうのは
こうした点かもしれません。






















具象を超える、抽象の理由をそこに観て
野性ともかなり異なる
彼らの「武装」の、狡猾なまでの滑らかさを感じます。





















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【移転のお知らせ】
当店、 現在移転準備中です (西ノ京・円町での営業は2015年に終了致し
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営業の再開に関しましてはまたこの場よりお知らせさせていただきます。
商品を別途倉庫に移管しているため、商品ご注文のお客様各位にはご対応
叶わず、ご迷惑をおかけしてしまい平伏の次第です。









                               百芍丹
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by h_s_t | 2016-05-31 22:34 | 日々のこと

詩の終わり リアルの始まり ───── 西域行






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古い拾遺抄、西域記、商周演義(封神伝)
大唐三蔵取經詩話からの朴通事諺解(西遊記祖本)など、
経典を生んだ西域にまつわる古い書物の多くには、
仏に並び反して、なぜか精霊の存在が匂わされています。










精霊というものは確かに居てと、
自身も山海を行く折々、感じるときがあります。

人界の知を越え、人間には制御できず
ただそれが見えるのは
人間が傷ついたときだけなのかもしれません。













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ある節目を越えつつ
詩は終わりに差し掛かり、眼前には明るいリアルが広がります。




長い夜は終わり、朝が来ます。

























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※敦煌・吐魯番(トルファン) 莫高窟 第159窟「文殊菩薩・維摩居士 対面」
 Figures from Mogao cave #159, Middle Tang (also known as Tibetan/Tangut period).

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                               百芍丹
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by h_s_t | 2016-05-30 00:00 | 日々のこと

蓮月





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湖月にかかるように

一輪のみ印花



蓮 一輪咄喜









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 願わくは

 のちの蓮(れんげ)の 花(か)の上に

 くもらぬ月を みるよしもがな


         ───── 大田垣蓮月 辭世












Annan Blue & White bowl / 18-19th century




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by h_s_t | 2016-05-25 03:46 | 日々のこと

逍遥


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そして自身もようやくまた
旅に出たいと思うようになりました。

不思議なもので、皆さまにもきっとそういう場所はあると思うのですが
僕にも10代のころから延々と、目的も無くふと訪れ、
目的も無くただ逗留を続ける町があります。











この瀬戸内の小さな町は、かつてはたくさんの「良いおばけ」が住んでいて
今も少なからず住んでいるであろう印象を留めています。
町が林芙美子に所以のある場所であったことも起因していたのか、
逍遥の発端が何であったかはよく思い出せません。




「人さまの縄張りに入ったという動物的な不安」

「仮想な生活を観てしまう矛盾した不安」


こうした不可欠なものが、昨今の旅からは消えたことに
少し戸惑いを感じ、仕入れではない旅からは遠ざかっていました。

こうしたことを書くと、ますます理解しがたい店主に思われるのかもしれません。




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(1月×日)

一月の白い海と
初なりの蜜柑の匂ひは
その日の私を
売られて行く女のやうに さぶしくしました。



爪の垢ほどにも価しない私が、いま汽車に乗って、
当ても無く うらぶれた旅をしてゐる。
私は妙に旅愁を感じると 瞼が熱くふくらがつて来た。

便所臭い三等車の隅ッこに、銀杏(いちょう)返しの鬢(びん)をくつつけるやうにして、
私はぼんやりと、山へはいつて行く汽車にゆられてゐた。



古里の厩(うまや)は遠く去った。

花がみんなひらいた夜
港まで走りつゞけた私であつた。

朧(おぼろ)な月の光と 赤い放浪記よ
首にぐるぐる 白い首巻をまいて
汽船を恋した 私だつた。



一切合切が、何時も風呂敷包み一ッの私である。

私は心に気弱な熱いものを感じながら、古い詩稿や、
放浪日記を風呂敷包みから出しては読み返してみた。

体が動いてゐるせゐか、瞼の裏に熱いものがこみあげて来ても、
詩や日記からは、何もこみ上げて来る情熱がこない。

たつたこれだけの事だつたのかと思ふ。

馬鹿らしい事ばかりを書きつぶして溺れてゐる私です。




              「放浪記」 林芙美子 / 1903 - 1951  より


























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今は無くなってしまいましたが、戦後の闇市を思わせた海岸沿いのバラックのめし屋、
ほどなく歩くと対岸の島に渡る渡船が、この町にはあります。










町に張り出す山に目を向けると、山肌に添うように密集して建てられた
大正頃の家屋のひとつに、草木に飲まれゆく Fという風変わりな喫茶店があり、
この店の持ち主でもあるS先生にいつしか出会うようになりました。

在野の天才ともいうべき方で、心打ち解け、かつてのお仕事を見せていただいたりすると、
基礎という骨格が結局は応用の原点なのだとしか当時の自分にはわからず、
それでもこのとき受けた気付きは、今の仕事の中に生きることになりました。





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Kという集落に差し掛かると、かつての赤線地帯であったろう名残りを留め、
この、赤線特有の旧建築物のならぶ筋には、以前は鉄でできた真っ赤なくぐり門がありました。

いつも同じ場所にいる、殴られた野犬のような『眼』をした 黒いベストを着た昔ながらの客引き。
白昼、誰もいない通りに只一人客を待つという 現実離れを感じる風景を幾度か見ました。

あの誰も入っていないであろうキャバレー。
あの客引きは今でも健在なのだろうかと、ふと思うときがあります。

用もないのにその『眼』の前を通ると、自分はいかに関係が無い土地から来たばかりでなく、
そもそも、一切の関係が無い 人さまの領域に只一人居るのは自分であると、
旅というものが持つ本来の姿が鮮明に映し出されます。


思えば、この動物的な不安は旅に付随する大事な輪郭であったはずだけれども、
もはやそんなものは、今の世にどれほどの価値も無いのかもしれません。












知らないスーパーで買った土地の食べ物と酒を片手に宿に戻る。

投宿は渡船で対岸に渡り、海に面したKという、
古い船員宿を設え直したような民宿に泊まります。
窓からは海をはさんだ向こう岸の明かりが遠くに見え、
そのほか観るべきなどというものは何もありません。

自分に関連するものは何も無いはずなのに、
ずっとそこに居たような、来訪回数が増えたからそう思うのか、
それもだんだんどうでも良くなる諦観に近い感覚を、少し待っている自分に
気づくようになります。

旅に求めているものが、結局は人と異なりすぎているのかもしれないけど
エンツェンスベルガーと同じく、こんなものが僕の旅なのかもしれません。



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私に 『放浪記』 を貸してくれたのは、およねさんであった。
およねさんは、母の話では淫売婦であったが、
それがどんなものか小学生の私にはわからなかった。

<中略>

およねさんから借りた『放浪記』には、ところどころ傍線が入っていた。

それよりもおかしかったのは、地名がエンピツで書き直されていることであった。
たとえば北九州が八戸、四国の伊予が三本木、九州の桜島が浅虫、
といった具合にである。

それに「太物の行商人」が「反物の行商人」と訂正されてあるところを見ると、
およねさんは林芙美子と自分とをすっかり重複させて、
この本を自分の『放浪記』にしてしまいたいらしかった。

およねさんが、傍線を引いてあったのは、
「故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。」とか
「人生いたるところ木賃宿ばかりの思い出を持って、私は美しい山河も知らないで」
といったところだったような気がする。

本来がうそつきで、それに盗癖があるということから、
およねさんは話し相手もなく、工事人夫や行商人が来て
「お仕事」 をしているときの他は、窓から顔を出していた。


およねさんの口ぐせは、
「あたしは旅人だからね。」
と云うことであった。
およねさんを見ていると、長いあいだ同じ家に棲んでいるのに、
「そこに住んでいる。」 という感じはなく、
仮の住まいというか、宿に泊まっているという感じが強いのであった。

それは家具がなかったせいもあるが、およねさんの性格にもよるのだった。
たぶん、およねさんのような人のことを、放浪人格というのであろう。




私が高等学校に入って、故郷をはなれてから、
ほんの一年もしないあいだに、友人から来た便りで、
およねさんが死んだことを知った。



「旅する者にとって、幻滅はすでにおなじみのものだ。
退屈をはらいのけるために、かれらはめくらめっぽう劇薬に手をのばす。
にもかかわらず、かれらは逃亡をくわだてるまもなく、
すでにそのむなしさを とくと承知なのだ。」 (エンツェンスベルガー)



赤い腰巻の、うそつきの、梅毒もちの、田端義夫ファンの、
万引常習の、滅法お人好しの、南無阿弥陀仏の、
放浪記の およねさん。



あなたのために、 この本の一ばん最初の詩は、 『放浪記』にしました。




              「放浪」 寺山修司 / 1935 - 1983  より














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※ 逍遥 / あてもなく、あちこちを歩き回ること。
※ 文中に適正と思われない語彙が多数ありますが、参照した作品の制作当時の
  原作者意図のまま、他意無く原文どおりの記載をしました。
  ここに注記いたしますとともに、ご理解頂けますようお願い申し上げます。
※ Archives










【 西ノ京での営業終了のお知らせ 】
当店、2015年8月をもちまして西ノ京での店舗営業を終了させていただきます。
詳しくは『2015年8月をもちまして 同地での営業を終えます』をご覧ください
ませ。
移転地、その他情報につきましては、またこの場よりお知らせさせていただきます。







                            百芍丹
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by h_s_t | 2015-08-23 22:43 | 日々のこと

時間

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by h_s_t | 2015-08-22 22:38 | 日々のこと

風祭



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立秋を過ぎ、盆の精霊を送南風(おくりまぜ)の中に見送り、
夜半には秋気を帯びてくるようになりました。



昼間は夏の気がまだまだ充つるものの
気づきにくいことですが、盛夏の頃よりも“風”が立ち、
風に出会うたびに 「移ろうのだな」 と感じます。

道端のふとした佇まいも何か少し落ち着きを見せつつ在ります。













七十二候の中でも 秋は「粛(しゅく)」のはじまりとされ
万物が落ち着きを以って 改まる季節としています。



前述のように「風」がその移ろいを案内し
大気全体を、ゆるやかに動く決意させます。

目ではなく、耳と肌など他の知覚を頼りに彼らを知ることは、
古くから行われてきた この島独特の感覚かもしれません。







 昨日こそ 早苗取りしか いつの間に

          稲葉そよぎて 秋風ぞ吹く


    ───── 『古今和歌集(905-912頃)』  読み人知らず




























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日本において 秋の風はさまざまな異称があり、
また地方ごとや、文字文化の中にも
非常に多くの呼び名を持つことに驚かされます。







これは「風」が、秋の中で欠かすことのできない存在であり
また風そのものを秋と、古い時代の人々は観ていたようにも、
僕は感じています。


秋を 色で指すところの「白」としていたところから付いたのか
秋風を指す「色なき風」などの呼称は
「目に見えない」ということを逆に尊んでいた、
言い換えると、目に見えぬことの価値の大きさを静かに伝えています。









秋風にも 春の春一番、冬の木枯らしのように、その到来を告げる
『初秋風(はつあきかぜ)/秋の初風(あきのはつかぜ)』 という語がありましたが、
秋の到来が「風」であることを気づかなくなった時代性の裏側で
徐々に使われなくなっていった言葉かもしれません。




 吹きいづる 寝所高く 聞こゆなり

         初秋風は いざ手ならさじ


    ───── 『後撰和歌集(成立年不明)』 小式乳母/ 999? – 1082?




















憂いと、その音がすることで逆に静けさを保つ秋風の音は、
特に「爽籟(そうらい)」と呼ばれます。





 爽籟や 布をゆたかに  使ふ袖


    ───── 朝倉 和江 / 1934-







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日本人は目に見えぬものに対して、その他の五感、
言葉で言い換えられぬ「感覚」を鋭敏にして
季節の到来を心の中に契機付けてきました。


秋は風(空気)であり、音であり、
もっと鋭敏な感覚を頼りに
「落ち着き改まっていく 気そのもの」
を感じることであるのかもしれません。




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風が

あなたの後れ毛を揺らし

なだらかな曲線を描いて

そっと通り過ぎていった


あなたのわずかな香りを感じながら

私は池の畔に座っている


つがいの鴨が

水面に映る空を渡り

朝の光が輝いている













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もう、寄り添ってくるあなたの肌が

気にならない季節だ


立ち上がって

あなたに聞いてみる


もう少し歩いていこう、と


岸辺では鯉たちが

波紋を重ね

群れている


その中で

まだ青いもみじ葉が

一片

静かに揺れている 



    ───── 『秋の初めに』  岩井 洋 / 1950-






























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 武雄唐津 刷毛目徳利

※風祀=風祭(かざまつり)/ 野分(台風など暴風雨の古い呼称)の被害から農作物
 を守り、豊作を祈るために行われる行事といわれるが起源は不明点が多い。全国
 各地に広く伝わっているが発祥時期などについても不明な地が多い。
※送南風(おくりまぜ/おくまじ)/迎えの盆にまず東風。その後、送りの頃に吹いて来
 る南風を指す。「送」とは盆に精霊を見送ること。送り火なども、こうしたことから南方
 の山や丘陵部が焼かれることはほとんど無く、北方の山に偏ることが多い。







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by h_s_t | 2015-08-21 18:16 | 日々のこと

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この週末、かねてよりお会いしてみたかった方に、お出会いすることができました。


穏やかな笑みが印象的な、例えるならば持蓮観音のような方で、
加えて、衆生を見守る観音らしい、精神性の力強い方であったように思います。















かの方も、個人のご経営として自身同様の地に、別れたお店をお持ちになられています。


同じ経験をされておられるという方の類例をほぼ耳にしないので、
自身にとっては、何か異邦の奥地でばったりと
数少ない同朋に会ったような感覚でした。














お会いして、効率の決して良くないこの手段を選んでいる理由を
この道程を始めたころのようにふと立ち返り、
改めて俯瞰させていただく一瞬を得たように感じています。






二つの顔を持つことは当然のように虎穴の日々臥薪の苦しみも生みますが、
さまざまな方々と出会う楽しみや喜びが勝るという点と
異なる面を持ち合わせることで、新たな化学変化を自己の中に求めた、
という点のみが理由の輪郭であったと、営業に句点ではありませんが読点を刻む今になり
佳人に出会い
また、ふと思い起こされたのは僥倖に思います。


二年という短い期間に、濃密に起きた化学変化は、
数々のお客様や、ご同業や異業種の諸兄、学殖の先輩方に支えられ
このような馬鹿で不勉強者なものでも、自身の中では豊かな結実を齎し、
大きな感謝とともに、次への糧とさせていただけることとなりました。















いつの日かまた、
かの方と切り口は異なっていても、互いに多忙な身でも
心行くまで器や物の話ばかりを
ゆっくりしてみたいと願ってやみません。







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慈雨の月曜。

送り火の終わった明け、
祇園宮川町を抜けます。







駆けながら、雨が始まった頃を思い起こし、
そういえば
雨の中のどくだみが、この世のものでないように
ひどく美しかったことが夏の始まりであったと、
残像を振り返りつつ歩を急いだ川沿いの月曜でした。

神酒徳利や亜字など、何故か祭器の印象が似合う花に思います。























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In June past day,
A verry “White”. Houttuynia cordata was in blossom.

In Japan, this plant called “Doku-dami (means to neutralizing poison)”.
This flower suits saiki (ritual utensil), I feel.













 持蓮観音
 伊万里 神酒徳利

※持蓮観音(じれんかんのん)/ 童男が童女に身を変え蓮華を捧げながら現れる
 変化(へんげ)を旨としている。人の心を、固い蕾から美しく花開くように和らげ、
 心を豊かに開かせることを本誓とする観音。心は姿を求めることを象徴している。





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by h_s_t | 2015-08-16 15:55 | 日々のこと

掲載のお知らせ 「& Premium / 京都、街歩きガイド」



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今月発刊のMook、「& Premium / 京都、街歩きガイド」に
掲載をいただきました。

「骨董案内」 の頁に紹介いただいております。











同地での営業は今月までとなり、
店舗のご取材等々は、こちらの書籍をもちまして
一旦お休みをさせていただきます。





数々のご出版元や編集部の皆様には
お世話になり続けたことばかりで、
ご厚情に 丸々と御礼を申し上げます。































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京都は、
この週末に 五山送り火。


それぞれの胸中で、夏を閉じる日に思います。






骨董を通じ、いろんなこと、いろんな人に出会い
夏は駆け足で過ぎたものの
欠くことなく、終生忘れることのない
佳い季節であったと 感じています。

























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胸に秋津、 舞い始める。


















※The photograph of the 2nd row ―
© J_o” Gozanokuribi Daimonji2” - (GNU Free Documentation License)
※秋津(あきつ・あきづ)/ トンボの古語。日本書紀における記載が初出。津の用法は
 当用における「の(乃)」に近しい。(用例:天津神=天の神 など)
 




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by h_s_t | 2015-08-12 12:00 | 日々のこと

掲載のお知らせ




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とある書籍で、「わたしの心が動くとき」 と題され
日本から34人、34様の、気になる瞬間の玉稿が集められています。








僕自身は、僭越ながら、自身が古いものとの対峙する中で
先般書かせて頂いたような、
森に入ると人間さえも多様な生命の一片にすぎず、
稀に、このフラットであった頃の平易な安堵感と、心地よい緊張を森の中に観ることで
美醜を越える大事さを感じ考える体験を、
主の居なくなった蜘蛛の巣を通して、草稿として書かせていただきました。








その文才で、磨き上げるようにブラッシュアップいただいた文筆家の姜尚美さん。
写真では木村伊兵衛写真賞で知られる写真家、川内倫子さん。

おふたりとお仕事のご縁に恵まれたことは、身に余る僥倖と、感謝に尽きる今回でした。










蒼井 優さん、長島有里枝さん、川上弘美さん、
しりあがり寿さんなど、みなさん心地良い読後感のお話しが多く、
楽しく拝見させていただきました。


























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                   百芍丹

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by h_s_t | 2015-05-28 20:00 | 日々のこと

疲れ



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冬と夏という激しい性格の季節の間にあって、
淡く穏やかな、待ちかねた季節でもあった春。

しかし、八重や辛夷(こぶし)も終わり逝き
いつの間にか季節は移ろうとしています。

その一瞬、その一刻は惜しまれるのに、
若い日々の如くに、いつの間にか過ぎています。




生(む)せ返るような力強い緑のかおり














 祇園の桜ちりがたに

 ひと夜のきみは黒瞳(め)がち

 上目する時 身にしみき

 そは忘れてもあるべかり

 わかき愁ひのさはなるに


       ─── 「 一夜 」 与謝野 鉄幹 / 1873 - 1935







花たちでさえ、その新しい緑のために
我が身を、美醜を超え打ち捨てているわけで、
その時々を綺麗に思う反面、ひどく疲れた気持ちになるのは
何故だろう。



美醜を意識し、拾おうとしすぎたとき
この疲れはいつもやってくるように思います。

生き物として出過ぎた真似をしたのだと。



謙虚さを忘れがちな、最もみじめな種族であることと紙一重な面が
顔をのぞかせます。
















僕自身が、古いものを好きである理由はあまりにも単純です。


山や森、海に入ると、生きるというシンプリシティが複雑に乱立しています。

人間さえも多様な生命の一片にすぎず、
その複雑さに反し
全ての関係はフラットです。


ただ、現実に進む世界は、
あまりにも人間が人間であることを意識しすぎたものかもしれません。












自身は、さまざまな古いものと向き合うときに
稀に、このフラットであった頃の平易な安堵感と、心地よい緊張を観ます。

それを自分の中の、美と換言してもいいかもしれません。




プリミティブアートと言われる物や原始や上古のものだけが
トリガーとなって古い記憶を動作させるわけではなく
(むしろ今の我々には無縁なときが本当は多いかもしれない)、
例えそれが、人間が同族の中で優位を誇るため
当時の英知を以て着飾るものであっても、
自然への畏れに起因するものであったとしても
違う生き物への切なる憧憬によるものでも
無知や無力さに端を発するものであっても
生き物らしい下衆な発想に帰趨するものであっても
古い記憶を揺り動かすような品々
他の生き物同様に生き物としての生きる悦びと苦悩を包摂した品々に
出会い続けたいと願ってやみません。





厭世家である必要も自然主義者である必要も何一つ無く
人間であることを愛して
なおかつ我々は何ひとつ偉くないこと、比べ優れた生命でないことを、
無言に知らしめる品に出会うことは
安寧とともに、極めて爽快に思う。






















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                        百芍丹
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by h_s_t | 2015-04-30 16:33 | 日々のこと