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<   2013年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧

自分を映すガラスたち

ベルエポック期のパリの賑わいが聞こえてきそうな女性用の灰皿たちは
20世紀初頭期のバカラ製です。



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女性の喫煙が少しくだけた新しい流行のスタイルとして、
ヨーロッパでも公けに認められるようになったのは1900年代の初頭期頃。

女性たちはガラスビーズで飾られたバッグと、ティファニーなどの
コスチュームジュエリーという新しく台頭したジュエリーを身につけ、
長いシガレットホルダーの煙草を優雅にくゆらし
まばゆいばかりの社交界に臨みました。

そして右手にこれらの輝くような灰皿。


小さな品ながら、さまざまな意匠が試され、
理知的なギリシャ神話に端を発するもの、
活動的な狩のシーン、少女的な愛犬と遊ぶシーン、etc…。

おそらくは持ち主の趣向や男性に求めるものを、そうした場でわかりやすくするための
一種の「サイン」として、多数の意匠が残ったのかもしれません。


  エレガントでありながら行儀を悪くする。
  つまり「くずす」には、
  まず第一に礼儀正しい基礎がなければならない。
              ― Gabrielle Bonheur Chanel (1883-1971)



フルクリスタルの品で、見た目以上の心地よい重量感があります。



 1910年代頃 / Antique Baccarat – Ash Tray




 百芍丹

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by h_s_t | 2013-09-30 17:24 | 品々のこと

夜長月

まだまだ重量物や家具の修理はできないものの、
月の初旬に壊した腰の具合も少し良くなりつつあります。
ゆっくりとしか品々の補充ができずご迷惑をかけます。


季節は彼岸も過ぎ、日中の日差しは強いものの「暑さ寒さも彼岸まで」で、
朝晩はそのとおりにずいぶんと過ごしやすくなりました。
秋分の日を境に、その前後を彼岸(「彼岸入」「中日」「彼岸明」)とし
春分同様に昼と夜のバランスに均衡がとられる時分で
人間を含め生きるものすべてが、心落ち着く頃のようです。




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昨晩はMさんと夜長の酒を、近くの酒処で楽しみました。


ちょうど平盃見立てで楽しめる伊万里の豆皿がやってきており
あまりに楽しい画なので水通ししてもらい、
その酒処で使わせていただきました。


使いだすと思った以上に肩の力が抜ける面白い品で、
画のように秋の夜長をふわふわと飛ぶように、いろんな話題に逍遥するも、
それがまた涼しい夜に似合う楽しい時間でした。

御付き合い下さりこの場を借りて感謝申し上げます。




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鶴に乗る仙人は、録の中では漢代に遡る非常に古い仙人で
王子喬(おうしきょう)かと思います。

鶴に乗り、はるばる日本にやってきたら
何やら鶴が鷺のようになってしまっており
これもまた伊万里ならではといった感じで微笑ましい小品です。







 伊万里染付 仙人図豆皿 <幕末期頃> 御売約 個人蔵





百芍丹

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by h_s_t | 2013-09-25 16:46 | 日々のこと

吉野

伸びやかな筆致が活きていた時代の
力強く美しい絵吉野の小さな木皿です。



描かれた花は清浄を表す芙蓉(ふよう)。

太閤秀吉が晩年の吉野の大茶会で、
時の茶人たちにその意匠を考案させたのが(あるいは見出させたのか)
初出とも言われています。




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時代はその後、大きな動乱を経て徳川の時代に移り、
滅亡した豊臣氏の残した大きなモニュメントである大坂城※も
新時代への移行を示すプロパガンダを大いにこめ、破壊し再構築され、
千利休に続く、豊臣政権からの宗匠であった古田織部も切腹を命じられ
前時代の茶事や文化に区切りがつけられます。




そんな中でも、江戸はいざしらず京都・大坂の上方では
かつての美意識を守るかのごとく、吉野の芙蓉絵は細々とその命脈を
引き継ぎ続けました。

他地域に比べ、畿内で古手の吉野が見つかることが多いのは
太閤時代を体験した畿内文化の「かつての、町人も楽しめた文化世界」への
一種のオマージュやレミニッセンスと同時に
徳川政権下の美文化への乖離があったのかとも思います。





その後、徳川の時代も終わり、明治という新時代を過ぎ、幾数年。
世相が近代化に至る中、吉野は急速にその伸びやかな線に力を失い、
意匠に託された闊達な野の意味を失っていきます。






 吉野 木皿<江戸時代後期頃> 御売約 個人蔵





※旧称地名により現在の大阪とせず記載しました。




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by h_s_t | 2013-09-24 16:44 | 品々のこと

ころ茶碗

80年代の骨董ブームと呼ばれた折には、いわゆる蕎麦猪口にくらべ
やや可哀想な扱いを受けてきた器種と先輩方からは聞きます。

時代は変わり、ここ数年で評価というよりその真価に
思う以上の豊かな奥行きがあることで、楽しまれる方が多くなった品かと思います。
思えば秦さんなど、かつては多くの数寄者の目に留まった器群でした。


茶器はもちろんですが酒器見立ても可能な器形で、
何よりその静かで親しみやすい柔和な佇まいは、
母性のような包容力といえば大げさですが優しさの形態化です。







美術評論家であり学芸員でもある末続堯さんの著書を参考にすると、
その名の由来は「ころころとしているから」とされています。

ただ、陶磁名考などの他の古い文献や資料には記載がない中、
ほかではあまり聞かぬのに、骨董業界では当然のように使われている呼称であることから考えると、
存外、私たち古い品々を扱う者や茶事に携わる方たちがある種の区別のために、
かなり古い時期にそう呼び始めただけのことかも知れません。



当店にも丸紋のかわいい茶碗が、先日九州の懇意の方よりやってまいりました。





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茶碗 (六ツ段目)
  恋の薬がな 茶碗一つ 茶碗一つが 及びなや
  せめてこの手に 手に是ほど 御身ゆゑにこそ
  立たじばな立て 先づはお寝るよの 腹立ちや。

                       ― 初出年代不詳 / 越後瞽女 口伝唄




かつて、三味を持ち各地を歩き、門付けなどで歌を聴かせた
全盲の(方が多かった)瞽女(ごぜ)さんの歌もそうですが、
江戸期の伴天連信徒(キリスト教徒)の方たちの風習やその生活の実際は
口承を後年に綴ったものの、いまだ資料化されぬ土着の口伝などが多く
編纂された資料はとても貴重に思えます。





やってきた「ころ茶碗」、一見は伊万里によく見られる丸紋の佳品かと思いました。


ただ、描かれた意匠は少々変わっており、

 返し判じ(白い部分を見る)の四ツ向い銀杏に見せた古いクルス文、
 下がり藤花に似せた文様は基督教での復活を意味する8の曜(8つの星)※、
 同時期の伊万里に見られる四方襷などの斜方の各種格子文ではなく
 セーマンドーマンのドーマンを指す縦横直交の魚子(まなこ・ななこ)に似た格子

という極めて異風な文様で彩られています。




全体のなりから察するに、その生まれは伊万里の内・外山ではなく
江戸後期の波佐見などの脇窯ではないかと思います。
初期伊万里を思わすかのような極めて小さな高台、
やや急がれた焼成か、窯の中でも匣(サヤ)などに収め火回りに変化が出たのか
といった発色ながら、溶けるように澄んだ印象です。



セーマンドーマンの、特にドーマンの格子や曜(星)が描かれていることには特色があり、
海に従事する者であったことを色濃く示します。

ドーマンはトモカヅキ(共潜女/ドッペルゲンガーのように自分そっくりの者が
潜ると海中に居り、忌みや穢を打たれる)などの、さまざまな海魔からの魔よけとされ、
漁師や海女は自分の漁道具や、衣類、腰巻や褌などの下着にまでもその記号を記しました。
畿内から離れた地域ほど、その線数は必ずしも九字ではなかったようです。
また、こうしたまじない的なアニミズムや民話と宗教が渾然一体に共存するのは
中世の庶民史では村祭りと彼岸の関係など多く見られる現象に思います。



諸島群の多い長崎、佐賀などの海辺の郷の信心ある良民たちが、
伊万里よりも役人の目がわずかに甘かった地元の波佐見の窯人に
人目をしのんで独自の文様を依頼した品であったのか、
一客のみ大事にされ、今日まで伝わった品です。



海での労働を終えた夕べに、みな笑顔で集まり、
きっと静かな祈りの時間が過ごされたことかと思います。





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 染付 波佐見ころ茶碗<江戸後期> 御売約 個人蔵




※7をひとつの周期や区分単位とし、8は復活や再生を意味する神秘的な数。




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by h_s_t | 2013-09-18 16:36 | 品々のこと

『こっとうさんぽ』 の夜長なり

週は、ようやく二十四節季でいうところの「白露(はくろ)」を過ぎ、
暦のうえでは野の草々に露が静かに降りはじめるころです。



 陰気ようやく重なりて、露こごりて白色となればなり

                   ― 江戸後期 / 太玄斎(松平頼救)『暦便覧』





五行思想の中では、四季の変化は五行の推移によって起こると考えられ
四季に対応する五行の色として、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」、
といった言葉が生まれ、秋の色は白とされています。







夜にはその気候の移り変わりを感じる涼風で、少し星もはっきり映りだし、
また、それにふと気づくことが、「星月夜(ほしづきよ/せいげつや)」が秋の季語であることを
あらためて意中にすんなりと分かり示します。

星を眺めていたりすると、回した両腕に触れる、肩のひんやりとした感触は
子供の頃よりなぜか心地よかった思いがあります。





 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども  風の音にぞ おどろかれぬる

                   ― 延喜五年(905)/ 藤原敏行『古今和歌集』



 秋たつや 川瀬にまじる 風のおと
 
                   ― 昭和十一年(1937)/ 飯田蛇笏『句集「霊芝」』



 秋の夜の あくるもしらず なく虫は  わがごと物や かなしかるらむ

                   ― 寛平四年(892) / 是貞歌合










敬愛する沢田眉香子さん(僕は普段、「沢田先生」と呼ばせて頂いているのですが)から、
著書である『京都こっとうさんぽ』をお贈りいただきました。

「行く」「やる」と言って動かない僕の勉強不足に、ついに業を煮やされたかと
いつもそのお心遣いに山々の感謝の気持ちです。




沢田さんは竹を割ったような判断力と、柔らかな猫の毛のような緻密さ、繊細さ、
コインシデンティア・オポジトルム(反対物の一致)とすればよいのか
極めて稀有な才能と人間的魅力にいつも溢れておられます。


二律背反に美を観る才は、日本の美感の中では確たる王道で、
日本人は小さな盆栽の中に大樹を、小さな器の表情の中に生や長大な時間を観て、
小さな茶室の中に自然や宇宙のひろがりを感じ、
句や歌の中に巻物に負けぬ美文を構成し、
その意識や才を高め続けてきた民族のように思います。





沢田さんの文章には古い品々への愛情もさることながら、
それに携わる人々、それを楽しむ人々、
そして新たな楽しみを探る人々への愛情に満ち溢れています。


僕にとっても、品々のことで悩みや行き詰まりを見せたとき、
なぜかいつも運よく、話す機会に恵まれたり、
お会いする機会に恵まれたりで、
「暗夜に灯を見る」をそのままに思うことが少なくありません。


沢田さんと巡り合えたのは偶然なことですが、
この良縁のありがたみを常々感じます。





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「京都こっとうさんぽ」光村推古書院版










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by h_s_t | 2013-09-13 16:34 | 日々のこと

瀬戸輪線文 豆皿

一目みて、「ああ、良い系譜だなあ」とその健やかさを感じた品です。



骨董というには憚られる時代性のものですが、加藤作助の輪線とは言わぬまでも
瀬戸・赤津で生まれた、小品ながらもその土地の息吹を感じる佳品です。

そして、古い筆致をただそのまま踏襲したわけでもなく、
その点がとてもとても清々しいです。








瀬戸というと、江戸も後期に入りつつある享和年間頃※に、
伊万里(現在の有田市周辺)に次いで磁器(新製焼)の焼成に成功しますが、
それまでに焼かれていた陶器質のものを本業焼として
当時から区分されています。


この江戸後期にもたらされた新技術たる磁器焼成を行うことなく、
昔ながらの本業で、陶体を頑強な厚さにし、かつ高温の酸化焼成を行った
「石皿」と呼ばれる器種が、品野、笠原、赤津などで生まれます。

呉須や鉄釉で様々な文様が描かれ、柳宗悦が工芸品のために発行した雑誌『工藝』の
創刊号(昭和6年1月)でも特集が組まれ、石皿の美しさが取り上げられています。



中でも、馬の目が驚いた様子とも言われている複輪線の「馬の目皿」や、
それ以前にもあった「麦藁手」と呼ばれる縞紋など、
瀬戸と輪線や縞紋などの線紋は切っても切り離せない関係にあるように思います。

それぞれに名の由来はいろいろ説はありますが、いずれも同様に
束ねた藁、なびく野の草、風の巻くさま、水の流れなど、
自然からの何かしらを感じ取ったはずであろう線文様は、作為を感じさせぬやさしいものです。



昔から近所近在に行き渡って使われている雑器は
紅鉢といわれる大きな深めの鉢であります。
また「石皿」と呼ばれる 径一尺前後の浅い大皿であります。
旅籠屋や煮売屋を始め、どんな台所ででも重宝がられました。
この皿には皆巧みな絵を描きましたが、いつしかたえて今は無地ものばかりであります。

                   - 1948 / 柳宗悦『手仕事の日本』(靖文社)









「馬の目皿」は明治期に一度完全に途絶したとされています。

ひとつの意匠としての途絶とするか、
新たな創意で大正昭和に引き継がれた、とするかは
僕としては、この小さな豆皿を手にしてみると自ずと後者に思えます。




現在、確かにかつての江戸後期の馬の目皿そのままの品も
復古的にまたいくつかの窯で作られ始めました。
骨董の分野においては、それらは混乱をきたす「リプロダクション」と
揶揄されることも多くあるかもしれませんが、
確立され、喪失してしまった過去の原点確認として重要なひとつの試みと感じます。


加えて思うのは、途絶したものを生き返らすことに増して過去の工芸から学ぶべきは、
同時に前に向いて、この小品のように「その意匠」ではなく
「その健やかさ」を守り新たな歩を進める、ということがさらに大事に思えます。





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 瀬戸赤津 輪線文豆皿<昭和後期頃> 御売約 個人蔵(全点)


※瀬戸市歴史民俗資料館の考証年代に沿い記載しました。
  実操業の草創期はその後年の文化・文政年間となる見解があります。
※麦藁手は江戸時代後期以前より焼成がなされていた伝統的文様です。









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by h_s_t | 2013-09-12 16:30 | 品々のこと

杓文字(しゃもじ)

名の由来も、そのルーツもあまり知られていませんが、
大地のめぐみをよそうのにあまりにも似合う、安心感あるおおらかなこの形が僕は好きです。


水田農耕の草創期資料として教科書にも出てくる登呂遺跡(弥生時代)からも
当時は何と呼ばれたか不明ながら、しゃもじに似た箆(へら)がいくつか出土しています。





当店にも少し前に楽しい「しゃもじ」がやってきました。
製作年代はすでに昭和期に入っているのですが、
縞黒檀でつくられた江戸手木工の上級品です。
ひとつひとつ厚さも形も異なり、丹念に蜜蝋で仕上げられています。


もはやこうした品をつくる工房も、職人も、消費者の記憶も途絶えて
しまったかと思う昨今です。

唐木という素材から考えると、柳の提唱した「民藝」という分野からは
確かにかなり逸脱するものの、「民藝」ではカバーしきれない、
魅力ある町人文化という、庶民の一側面を支えた華美とは異なる手仕事も実在し、
また、それがほとんど脚光を浴びず消えゆく気がしてなりません。

茶事や骨董・古玩、民藝、デザイン界、etc…。
それぞれに拾われることなくとも
魅力的なものは「多くの言葉いらず」で魅力的に光っています。







しゃもじは、その元の名を何としたのか、
平安期以前のことはよくわかっていません。


語源は「杓子」(しゃくし)や「杓(勺)」(しゃく)の略化接頭「しゃ」に、
付加意の接尾辞「文字」(もじ・もんじ)が付いたものらしく、
このように最後に「もじ」を付けて婉曲的に表現する文字詞(もじことば)は
現代にはない非常に古い特殊な日本語で、女房詞(にょうぼうことば)というものです。


女房について少し触れると、女房は平安期-室町期頃を中心に
宮中、貴族邸宅、門跡寺院などで側仕えをする女性たちのことで、
時代劇でみる江戸時代の「腰元」とは異なり雑事は行いません。
貴族階級出身者であることが多く、教師や秘書官的役割などを有する才女たちです。

雑事を行う女官と後年は同一視されることが多いのですが、身分や教養は格段の差があり
彼女たちが会話をするときに、婉曲的に麗句化する際に使用した言葉が女房詞(女房言葉)です。




枕草紙で知られる清少納言も、一条天皇中宮に仕えた女房のひとりで


「ないがしろなるもの。 女官どもの髪上げ姿。」

               -  枕草子 【二百三十八】 清少納言



とあるように、労働然とした女官の魅力を伝えると同時に、
自分の身分との差異を明らかにしています。
※ここでいう「ないがしろなるもの」は、「(無造作に)少し乱れて
心惹かれるもの」という意味かと思います。





現在、何とか耳にする女房言葉はひょっとすると、
時代劇にたまにでてくる「そもじ(=あなた)」や、
もじもじするの「もじもじ(もぢもぢ)」(異説あります)
加えて、この「しゃもじ」という言葉ぐらいなのかもしれません。




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 江戸手 縞黒檀杓文字<昭和前期> 御売約 個人蔵(全点)









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by h_s_t | 2013-09-11 16:26 | 品々のこと

台風一過 九月

立春から数えて二百十日の9月1日から二百二十日に当たる9月11日。
古くから最も台風が多い時期。
今年の季節は肝心なところで狂わず、そのとおりに昨日の激しい野分けに。

野分は秋の優しい涼風にも句や歌では使われるものの、その文字のとおり
平安の昔より台風の古語として、やはり二百十日のような強い風雨が
あまりにも良くその勢いを表しています。


九月

本来の旧暦和名では「長月」という名前があるのは広く知られるとおりで、
新しい類推では「菜刈月(ながりつき)」の変異という話もありますが、
「夜長月(よながつき)」の略であるとするのが現在のところは最も有力のようです。

「菜刈月」という新しい類推や、
「稲刈月((い)ねかりづき)」、「稲熟月・稲上月(いねあがりづき)」などの
古くから『その語源』とされていた類名も、
すべては自然の中に身をゆだね、収穫というその恩恵への感謝と
比例する畏怖を保ち続けた、日本人らしい健やかな思いにあふれているように感じます。

畔は一様に曼珠沙華に彩られ、近畿という地に根差す自分にとっては
盆の送り火に応えた、たくさんの報せの火のように思うような時があります。
子供のころより「触ってはいけない毒の花」と言われ、
その不可侵をもって屹立する赤い火のような花は、
一層に涅槃の安らぎをこちらの側は温かく知るのみというように思えてなりません。


 薄づける 彼岸秋陽に 狐ばな 赤々そまれり ここはどこのみち

                                  ― 木下利玄



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送り火も、曼珠沙華という火も、祠の狐も、子供のころにはひどく怖かった。
そして、手を合わす日常とは異なる父母や大人たちの表情に
そわそわしたり、自分がどうしてよいのか判らぬ思いに抓まされたことを覚えています。

その怖かったものの持つ静けさやエネルギーは、大人になった今眺めると
思い出せない大事な何かが近づいては遠ざかる、稲穂の波のような、
子供のころの自分からの報せであるかのように大事に思えます。






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by h_s_t | 2013-09-05 16:23 | 日々のこと

骨董 百芍丹

冠のままに、古陶磁などの骨董主体の店舗となります。


お店からのお知らせや、お役に立てないかもしれない話を進めて参ります。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。







西ノ京円町店舗での営業は2015年を持ちまして終了いたしました。

2016年8月27日(土)より、以下の新店舗に移転させていただいております。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。








【 骨董 百芍丹 <ひゃくしゃくたん> 】

 ・新店舗  〒602-0051 京都市上京区御三軒町37 (上立売 小川上る)
       → google map

 ・電話   現在施設準備中です

 ・営業時間 土曜日・日曜日 13:00-19:00
        及び25日(天神さん) 13:00-19:00
       (本年より毎月25日も営業させていただきます)

 ・交通   市営地下鉄 今出川駅 徒歩12分(JR 京都駅、阪急烏丸駅よりお越しの際)
       市バス12系統 堀川今出川バス停 徒歩10分(四条河原町、四条高倉 等よりお越しの際)

       ※12系統(金閣寺立命館大学行)は本数多く、四条河原町のバス停は
        高島屋北側の四条通り沿いです。51・59系統 でも堀川今出川経由となります。
       ※お車でお越しの際は駐車場ございません。当店北進10mのコインパーキング等
        ご利用くださいませ。店頭、クラシックカーの出入り多く駐車いただけません。
       ※「御三軒湯」の上手2件目となります。

 ・近隣   御三軒湯、報恩寺、表千家不審菴、裏千家今日菴、白峯神社、本阿弥光悦邸跡









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百芍丹

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by h_s_t | 2013-09-04 18:31 | 店舗ご案内