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疲れ



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冬と夏という激しい性格の季節の間にあって、
淡く穏やかな、待ちかねた季節でもあった春。

しかし、八重や辛夷(こぶし)も終わり逝き
いつの間にか季節は移ろうとしています。

その一瞬、その一刻は惜しまれるのに、
若い日々の如くに、いつの間にか過ぎています。




生(む)せ返るような力強い緑のかおり














 祇園の桜ちりがたに

 ひと夜のきみは黒瞳(め)がち

 上目する時 身にしみき

 そは忘れてもあるべかり

 わかき愁ひのさはなるに


       ─── 「 一夜 」 与謝野 鉄幹 / 1873 - 1935







花たちでさえ、その新しい緑のために
我が身を、美醜を超え打ち捨てているわけで、
その時々を綺麗に思う反面、ひどく疲れた気持ちになるのは
何故だろう。



美醜を意識し、拾おうとしすぎたとき
この疲れはいつもやってくるように思います。

生き物として出過ぎた真似をしたのだと。



謙虚さを忘れがちな、最もみじめな種族であることと紙一重な面が
顔をのぞかせます。
















僕自身が、古いものを好きである理由はあまりにも単純です。


山や森、海に入ると、生きるというシンプリシティが複雑に乱立しています。

人間さえも多様な生命の一片にすぎず、
その複雑さに反し
全ての関係はフラットです。


ただ、現実に進む世界は、
あまりにも人間が人間であることを意識しすぎたものかもしれません。












自身は、さまざまな古いものと向き合うときに
稀に、このフラットであった頃の平易な安堵感と、心地よい緊張を観ます。

それを自分の中の、美と換言してもいいかもしれません。




プリミティブアートと言われる物や原始や上古のものだけが
トリガーとなって古い記憶を動作させるわけではなく
(むしろ今の我々には無縁なときが本当は多いかもしれない)、
例えそれが、人間が同族の中で優位を誇るため
当時の英知を以て着飾るものであっても、
自然への畏れに起因するものであったとしても
違う生き物への切なる憧憬によるものでも
無知や無力さに端を発するものであっても
生き物らしい下衆な発想に帰趨するものであっても
古い記憶を揺り動かすような品々
他の生き物同様に生き物としての生きる悦びと苦悩を包摂した品々に
出会い続けたいと願ってやみません。





厭世家である必要も自然主義者である必要も何一つ無く
人間であることを愛して
なおかつ我々は何ひとつ偉くないこと、比べ優れた生命でないことを、
無言に知らしめる品に出会うことは
安寧とともに、極めて爽快に思う。






















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                        百芍丹
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by h_s_t | 2015-04-30 16:33 | 日々のこと

第2回 京都ふるどうぐ市 を終えて



品々にお目を留めていただいたお客様、
微に入り、たくさんの御助力いただいたスタッフの皆さま、
会場を同じくさせていただきました皆さま、
本当にありがとうございました。












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懇親の夜も、晩春の心地よい風の中
多くの方々とお話しができました。


「千と千尋の神隠し」ではないですが、良い意味で皆さん人間離れした魅力があり
名のある山や川の主が集まっているような宴は、時間を忘れる心地よさと、
自分は一人ではなかったということも改めて気付かせる
感慨深い時間でした。















全国から集まられた名店の方々が連れて来られた品々は
笑顔でお話しされておられる様子とは裏腹に、暑寒の中、
多くの時間と手間と労力、足を棒にして、お金をかけて
真剣に自分の目筋を磨きながら集められた品であろうことは瞭然で、
どれも簡単にそこにある品では無く、
店主と求めた客の二人だけが共有しうる蜜月を齎(もたら)す、
佳品優品に満ちていた。








写真を撮ることが目的であったり、さまざまな楽しみ方の人も居ましたが
遥かにふくよかな時間をこの二人は求めており、
こうした稀有な場であるからこそ、
いつまでも「市」と名付けられたその意味と価値を
皆で守っていければ良いなと思います。





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多くの方々に山々の感謝を込めまして。







頓首再拝


                  梧下  骨董 百芍丹











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by h_s_t | 2015-04-28 19:07 | 日々のこと

(店舗休業のお知らせ) 第2回 京都ふるどうぐ市



4月25日(土)・ 26日(日) は、地元京都で開催となる
以下のイベントに出店させていただくこととなりました。

このため、両日の店舗営業はお休みさせていただきます。






開催場所は非常にアクセスの良い場所です。
晩春の気候良き折、
足をお向けいただけましたら幸いです。






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 【 第2回 京都ふるどうぐ市 】

 開催日程 : 2015年 4月25日(土)、26日(日)
 ※両日、百芍丹店舗はお休みとなります。

 開催時間 : 25日(土) 11:30 ~ 18:00
         26日(日) 10:00 ~ 16:00

 開催場所 : 元・立誠小学校 校舎内
         京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町310-2

 ― 京都ふるどうぐ市 HP  http://kyotofurudouguichi.com/


























皆々様と会場でお会いできることを
不肖な身ながら、楽しみにしております。





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                        百芍丹
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by h_s_t | 2015-04-20 21:41 | 営業・休業のお知らせ

「 BRUTUS 」 5.1



「BRUTUS ─── 骨董特集」に掲載をいただきました。


敬愛する先輩方や数寄者の方など、一冊全て骨董という
思い切った特別編集の号になっています。




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昨日4月15日発刊。



書店にて、ぜひお手にとっていただけたらと思います。













                        百芍丹

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by h_s_t | 2015-04-16 22:17 | 日々のこと

山の神


山神信仰


狩猟、炭焼、杣(木材の伐採)や木挽(製材)、木地師(木器製作)、鉱山関係者など、
山に関わったり、山に暮らす人々によって、それぞれの生業に応じた形で
独特の信仰や宗教的な行為が形成され、伝承されてきました。







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温かな笑みからは、豊穣なる山からの恵みと
何より里人の、山への良き関係性が見て取れます。



わずかながらも人形代(ひとかたしろ)からの変移を思わす造形。

仏師の作ではない庶民の手による神像は、根松材なのか
重硬な木を丹念に彫り上げた素朴な作行きで、
暮らしの依りどころである身近な存在であったのであろう
日常からの、山を大事に思う心の発露がそこに見えます。




同時に、その立ち姿を目にすると何故か全身が総毛立つ。
おろそかにしてはならない、一種の結界を有するような
畏敬の念が形となっている気配も漂っています。







最も古い歴史を持つであろう自然崇拝という信仰。
どれほど昔にその信仰は始まったのか、濃密なる山と人との関係性。


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現代人が単純に 「山の神」 とひとくくりにするのは早計で、
仏教系の神仏像と異なり、土着の信仰でもある
「八百万の神々」と換言できそうなこれら山の神々に
決まった形はありません。








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「まんが日本昔ばなし(1975-1994/TBS)」にも登場した
中国山地(山口県とされる)の山の神。
自分の姿があまりにも醜いため、自分よりも醜い者を見ると気を良くしたとされます。
このため、山に入る者は秀麗な面相とはいえない
干物になった虎魚(オコゼ)を持って山に入り、山の神に奉納しました。
実際、この風習はつい最近まで、場所を異にする秋田・阿仁地方のマタギの間でも
固く守られてきていたことが知られています。


山深い神室連峰に抱かれた山形県金山などの山々では、
平安期の陰陽道の伝播経緯の中、人形代(ひとかたしろ)が地方ごとに
独自の発展を遂げていったと思われる、式神を思わす木製人型の神像。


大山祇神として天狗の形態をとるのは福島の台倉山。


上越(群馬・雨乞山など)では男神・女神と思われる対神の山神、十二様(じゅうにさま)。
一年の月数、山の神の子供の数、さまざまな説がありますが
十二の意味は分かっていません。
場所を異にして実話をベースにしたと言われる遠野物語(柳田國男)九十一の中でも、
「赤い顔の男と女」として男神・女神と思われる山の神が登場しており
対神とする地域は、広域かつ、かなり多かったことが窺えます。


出羽(鳥海山系)では、それが山に入った先人を指すのか、
山の幸の収穫を指すのか、示現した神には鎌や鉞(まさかり)など
刃物の印が絶えない。


また柳田國男は、一つ目小僧は山の神の零落した姿なのだと、
明治から昭和初期にかけて発表した怪異に対する論考をまとめた著作
「妖怪談義『一つ目小僧その他』(1956)」の中で触れています。
柳田國男による山神考は、人身御供と隻眼の関係も説かれており、
これはもともと、神に捧げるべき生け贄の人間が逃亡しないように
片目(と片脚)を傷つけていたのが、神格と同一視されるようになったのが
原因であると考察は閉じられています。






まさに他種多様。

地方や地域という縦軸があるならば、
さらに、人間の山との関わり方という横軸の多様性を物語るもので
この縦と横の軸が交差する点の数だけ、
様々な山や森、木々、岩や滝の神々が居るわけで
森羅万象そのもののようでもあり、彼らの当時の生活風習から
丹念に読み解く必要性があるように思います。



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その名さえ正しく伝わっていないもの。

名前そのものを忘れられてしまったもの、
習合したもの、形さえ消えたもの、
元より形の無かったもの、
依るべき山や森もろともに消えたもの。










明治時代のはじまりとともに、生活圏にあった山々や山林にも
細かな所有権が生まれました。

かつて、そこに生業や生活の場を自由に持っていた人々は徐々に減り
霊場となるような霊山などはともかく、
明治政府の進める神道国教化とも相乗したのか、
近隣の山の神々の多くは忘れらていきました。



















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1878(明治11)年、日光の男体山に登ったアメリカの生物学者モース。

山の頂上に、期せずして神社という祭祀施設があるのに瞠目し、
スケッチとともに、著書の中で次のように記しています。





 聞くところによると、日本の高山の全部とまでは行かずとも、

 殆んどすべてには、神社があるそうである。


 驚くべき意想であり、彼等の宗教に対する帰依である。


 八月にはかかる場所へ、日の出とともに祈祷をささげんとする人々が、

 何千人と集まる。

 その中には難苦を堪え忍んで、何千哩の旅をする者も多い。


 私は我々の宗教的修業で、メソディストの幕営集合以外、

 これに比すべきものは 何も思い出せない。



       ─────  『日本 その日その日』 抜粋  Edward Sylvester Morse / 1838 - 1925



















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 山神像 〈出羽〉   御売約 個人蔵

※参考文献・資料 /
 国立歴史民族博物館
 東京国立博物館
 「消えゆく山人の記録、マタギ(全)」 太田雄治
 「最後の狩人たち」 長田雅彦
 「マタギ 日本の伝統狩人探訪記」 戸川幸夫
 「山の神と日本人」 佐々木高明
 「ブナ林の民俗」 赤羽正春
 「アイヌ学入門」 瀬川 拓郎
 「図説 民俗探訪事典」(1983)
 「日本民俗学大系7」(1959)より井之口章次氏論説
 山歩きアラカルトwww5e.biglobe.ne.jp/yamamosa/index.html
 幡平市/鹿角街道WEB
 まんが日本昔ばなしデータベースnihon.syoukoukai.com

※The photograph of 4th row ― 
 菊池和博2004「山の神の勧進と男子成長祈願」 『東北学』10 ©


※オコゼと山神/ オコゼを山神に奉納した点については、地域によっては類似の
 姿を持つ川魚のカジカ科の魚が当てられたと思われる形跡もあり、実際、同種
 の魚に「山ノ神」という和名を持つものも存在します。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%9F
 








                        百芍丹
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by h_s_t | 2015-04-09 21:29 | 品々のこと

寄り神


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古代から、寄り鯨や流れ鯨(生死を問わず)は
「 一頭頂かんば 七浦を潤し 」 と。


食料として、灯し油や除虫薬として、
骨や髭は道具として。








捕鯨の習慣の無い漁村でも、
湾や入り江に入ってくる鯨(いさな)や鯱(しゃち)、甚平鮫、海亀などは
魚群を追い込んでくれる「海の神」の最たる示現でした。


補食した場合、それぞれの土地は
現代の都会に住む人々の感覚以上に手厚く葬り、
墓や社、塔を建て、祭礼を行い
数百年経った現在も、その供養は欠かさない。





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 祝い目出度(めでた)の若松 サイヨウ 

 枝も栄える 葉も茂る 

 ター 竹に成りたや 大山の竹によ 

 旦那栄える ミシルシ竹



               ───── 『生月勇魚捕唄(平戸)』 抜粋



















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鯨同様の古い信仰は、「寄り物(漂着物」)への信仰で
この信仰は、いつのころからか夷(蛭子・恵比寿)信仰と習合していきます。




波が寄せもたらす、あらゆる物
漂流物、水死体、難破船、漂泊の不具者、鯨、寄り鯨、流れ鯨、巨大な魚は
全て「エビス」と呼ばれました。




意図があるかのように浜に物をもたらす波。

脈動のように寄せる波そのものに、
海が意思を持つと信じるに足る神格を、
人々は自然と持っていったのであろうと思います。














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 奉納 鰯鯨大髭(三尺)   御売約 個人蔵
 夷体 民衆仏   御売約 個人蔵

※鯨供養/ 鯨墓(鯨塚)は現在、江戸期のもので約54基確認されている。碑や祠を
 含めた中世以前のものを合わせると100を超える。戒名は大名などと同等の最上
 位のものが与えられることが多い。
 鯨を祀る神社は西日本を中心に、小さな社を含めると極めて多く、長崎・諏訪神社・
 海童神社、呼子・田島神社・三社大権現、樺太・札塔恵比寿神社、三宅島・鯨神社
 など、想像以上の数が今も存在し大事に祀られている。
 (Ex./ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%A8%E5%A1%9A
※「宮本武蔵と大鯨と鯨涛」/ 歌川国芳 (Utagawa Kuniyoshi, 1798 - 1861)








                        百芍丹


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by h_s_t | 2015-04-01 17:29 | 品々のこと