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京都ふるどうぐ市 2016 ─── 幕


遅い御礼となり恐縮ですが
京都ふるどうぐ市
新緑も鮮やかな二日間、無事に終了いたしました。


お越しいただきました皆さま、本当にありがとうございました。
そして当店ブースにお目を留めていただきました皆さまに
山々の感謝申し上げます。

また、大きなご心配や気を揉む現在となっており、
励みとなりますたくさんのお言葉に、恐縮と、沁み入る感謝を感じております。



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第三回となる京都ふるどうぐ市。

今年は校庭までお客様の列が伸び、
入場規制もかかる盛況となりました。



参加の機会をいただき、回を重ねるごとに感じるのは
品々や目筋のブラッシュアップや大胆な取り組み。
尋常ならざる、常に新鮮な流れや質をそこに感じます。

お客様も他で言うお客様という立場以上に、集い、意識を共有しながら交換し
市の向上を共に高め合う、佳き同好同志の方々に感じてやみません。







自身は、昨年同様に、難しくも光も角度もフラットなブース位置からの設営で、
主催者の方々のご配慮の幸運に恵まれたと思っております。



初年度からずっと考えていたのですが
美しい建築と木の香り、柔らかい光線、集う笑顔があるだけで
不細工な自分のあれこれ考えた、ひねくり回すような「見せ方」をすれば、
すでにそれが無粋極まりないと。
何の捻りもないフラットであることから、いかに物と人に集中できるかを
今回も勉強できたと感じております。

いろんな場所で「見せ方」とよく言いますが、その言葉の響きの奢りに気付き
「出会い方」の方が遥かに重要であると感じた今回でした。

光が演出を大きく加味する窓側で、もし設営を行っていたら
光と抜け感の魅力に惑い、自身はこのとても大事な気付きに至らなかったと思います。





滲み出るような展示をいつかできるよう、
鋭意、この先も学んでまいります。
















常に「古いけど新しく 新しいけどしっかり古い」を慎重に考えられ、
謙虚に大胆に体現されている 京都ふるどうぐ市。

美術や骨董、アート、工藝の「出会い方」の新しい有り様を
ふわりと軽やかに示しているように思います。









主催者の、soilの仲平さん、sowgen brocanteの小泉さん、ラガード研究所の淡嶋さん、
実行委員の皆さま、ボランティアスタッフの皆さま、
会場でお出会いしました全ての皆さま。

本年も、本当に学び多い機会と
楽しい時間をいただき ありがとうございました。






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【移転のお知らせ】
当店、 現在移転準備中です (西ノ京・円町での営業は2015年に終了致し
ました)。
営業の再開に関しましてはまたこの場よりお知らせさせていただきます。
商品を別途倉庫に移管しているため、商品ご注文のお客様各位にはご対応
叶わず、ご迷惑をおかけしてしまい平伏の次第です。









                               百芍丹
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by h_s_t | 2016-04-28 16:13 | 営業・休業のお知らせ

第3回 京都ふるどうぐ市


現在、店舗移転にて準備中の当店ではありますが、
本年も首記の催しに
参加させていただけることとなりました。

関係の皆々様には感謝を申し上げる次第です。



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開催場所は非常にアクセスの良い場所です。

春の京都、おみ足を向けていただけましたら幸いです。





 【 第3回 京都ふるどうぐ市 】

 開催日程 : 2016年 4月23日(土)、24日(日)

 開催時間 : 23日(土) 11:30 ~ 17:30 (最終入場は17:00まで)
       24日(日) 10:00 ~ 16:00 (最終入場は15:30まで)
 
 開催場所 : 元・立誠小学校 校舎内
         京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町310-2

 入場料  : 500円(小学生以下は無料)


 ― 京都ふるどうぐ市 HP  http://kyotofurudouguichi.com/













当店ブースは自然光の届きにくい、ほの暗い奥まった場所です。
特別な什器や見せ方などあれこれ考えず、等身大での品、
素で参りたいと思います。


景無く、渡りのみ
絶海是在










絵になる展示を目指さないという大海原で勉強できることを、
昨年同様、引き続きしっかり学んで帰りたいと思います。


潮の流れを観た 見栄えの造作はありませんが、それが見どころ結び花と
ご高覧いただけましたら幸いです。







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ほんのひと時ではありますが、お見知りの皆様との再会、
新たなご縁となる皆様とのお出会いを心より。










【移転のお知らせ】
当店、 現在移転準備中です (西ノ京・円町での営業は2015年に終了致し
ました)。
営業の再開に関しましてはまたこの場よりお知らせさせていただきます。
商品を別途倉庫に移管しているため、商品ご注文のお客様各位にはご対応
叶わず、ご迷惑をおかけしてしまい平伏の次第です。









                               百芍丹
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by h_s_t | 2016-04-13 12:00 | 営業・休業のお知らせ

恋を繋いだ小品  ───── 幕末期 型物皿


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幕末期に生まれ、明治の終りとともに
新たな製法に引き継がれ
わずか半世紀で忽然と姿を消していきます。

骨董の歩を進めていくと、この道に入った頃の初い気持ちを忘れ
小品の裏側に佇むものを見落としがちですが
自身もふと思い立ち思い巡るときがあります。











呼称として、型皿、型物皿と呼ばれることがありますが
この器群を指す明確な呼称というものを、ほぼ耳にしません。


器の品格でいうと、上手(じょうて)か下手(げて)で分けると
上手ではなく、現代感覚では長らく下手とされてきましたが
当時の感覚でよくよく考えると、単純に下手とも言い切れないように
僕は感じています。


現代から見た、そうした二項対立のような分類に当てはめるべきではないのかもしれない、
粋のある品々のうちのひとつに感じています。














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画題に選ばれたモチーフは、文様化された花や神獣、空想獣など。


研究対象になりづらい時代性の品というのもあったのか、
幕末という濃密な時間の中に、彼らがどう活躍し、どういった記憶を宿したのか
ほとんど知られることは無く、長らく時間が過ぎていったような印象で
彼ら自身はその小さな体つきもあるのか、微笑ましく黙っていたような佇まいです。


実用においては、ほどよい径と、独特の深さのある品で、
出番がなぜか増える、使い勝手の良さがあります。














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1980年代くらいまでの物の本には、「瀬戸製」とされていることも多いのですが
後年、その多くは伊万里で生まれ、瀬戸には後年伝わっていたことが分かってきています。

木型などによる押し型成型が試され、小さな品ということもあり
製造効率は前時代より、わずかに向上したことが窺えます。






彼らは幕末期に、今でいう酒宴を楽しめる料亭や、
料理とともに政治的な話なども交わせるような
一定の格を持つ遊郭などで活躍していたことも、
朧げながら分かってきました。

今もって使い勝手が良いと感じる形状の秘密は
そうした場所の、当時の第一線の料理人たちも愛用していた
今で言う形状計算の行き届いたプロユースの器、という点にあるのかもしれません。















形状だけでなく、意匠にも心配りはあるように思います。

細密型でありながら、目にうるさくない小気味良さを感じる意匠は
しつらえの主役級にはならずとも、彼らが静かに脇役としていることで、
食事や酒席はぐっと深みや味わいが増す、そんな名脇役たちに思います。


捻梅(ねじりうめ)が春を、宝珠菊が秋を添え、主役の季節感を支え
麒麟などの神獣がきりっとした慶賀を、箸を取る者に伝える。


小品ながら いずれもが濃密さを感じる図案化がなされている意味合いを、そこに感じます。












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手塩皿(今でいう調味料用の皿)とされた解説も多く、
実際そうした使い方がなされた時もあったかと思いますが、
彼らは膳の上で酒肴を添える小さな向付のような役回りが
主な使われ方であったようです。


食べ終えると、図案が現れ、食べる者をふと喜ばせる
小さな小さな、ちょっとした気遣い。

小さいからこそ、その好意はわざとらしく無い印象です。




















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幕末期

動乱のさなか







彼の行動力や人物像のイメージからなのか
そうした、穏やかな、ふとした日常の姿は
歴史に残らない話になってしまっていますが、
この小品を、深く愛した人物が居ます。














 薩摩藩士 西郷隆盛








維新後は、大日本帝国陸軍の初代元帥と
明治新政府参議(政府首班)を兼任。











日本の黎明に立ち会った、「維新の三傑」で
今なお、鹿児島の方々はじめ、日本中に
その清廉で屈強たる仕事ぶりと、人間味溢れる人物像を慕う人は
多いのではないかと思います


明治10年(1877年)、西南戦争の陣中に没。
享年51歳。






時の明治天皇からも深く愛され、天皇は彼の死を耳にし、

「西郷を殺せとは言わなかった」

と洩らしたと言われています。









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その、仕事における人物像は、「うどさぁ(=偉大なる人)」と賞され
坂本龍馬(土佐脱藩)、桂小五郎(長州藩)で知られる、
薩長同盟から、まさに時代は大きく変わっていきました。




肖像画どおりに目は大きく、しかも黒目がち。
その眼光と巨眼でジロリと見られると、「人斬り半次郎」という異名を持つ
桐野利秋(薩摩藩)のような剛の者でも、舌が貼り付いて物も言えなかったと言われています。

加えて、異様な威厳があり、参議でも両手を畳について話し、
目を見ながら話をする者が居なかったといわれています。 — (長庶子・西郷菊次郎談)


















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そんな彼においてもプライベートはあり、諸々の資料や文献が、
彼の穏やかで優しい、プライベートでの人物像を伝えます。





中でも、彼の私生活面を物語る、興味深い戦前の書籍があります。

『維新侠艶録』、井筒月翁著(萬里閣書房 1928年)。




序文は



  「男」のための維新史は多い。 「女」のための維新史ありや。

  <中略>

  いずれも談屑維新の渦中を出でず、順序もなくノートせるもの、

  この冊子の骨となる。

  史実としてみるには無論不充分であろう。

  しかし一夕の感興としてのみ 聞き捨つるにはあまりに惜しい。

  <中略>

  “女”の側から維新を見、志士たちの知られざる素顔を活写する、

  聞き書き維新裏面史。 




と始まります。



女性たちが聞き及び、体験した幕末維新史や、志士たちの素顔を
存命した彼女たちの口伝から記録した書籍で
近年復刊もなされました。








京都の祇園新地に中西|君尾《きみお》をたずねると、

いつも長火鉢のそばでお茶をのみながら

ゆっくりゆっくり京なまりで話してくれた。

中風が起りかかったころであった。


維新当時の活きた歴史ともいうべき、この老妓の口から、

「西郷はん」とか、「木戸はん」とか

呼ばれるのをきくと 異様の感じがしたものである。


                  — 「勤王芸者中西君尾の話」抜粋 維新侠艶録より




話は、芸者であった中西君尾の話から始まります。





















西郷隆盛の話は、やはり君尾からきいた。

<中略>

大西郷(だいさいごう/当時の市井での呼称・愛称)は酒席では、いかにも無邪気に遊んでいた。

そんなところをみると、偉いのやら馬鹿やら ちょっと得体のわからない人だった。


酒を呑んでも大きい声を出すでもなく、

ほかの志士のように元気一ばいに振舞いもせず、

ただ静かに邪気なく遊んでいた。







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彼は、奔走した京都の生活の中で、ある女性に恋をします。

それは芸妓や太夫でもない、脇役ともいえる、料理や酒を運ぶ仲居の一人でした。

あまり知られることの無い、彼の恋にまつわる一節があります。







肥った男は清(や)せた女、肥った女は瘡(や)せた男が好きだ、などとよくいうが

大西郷はその反対だった。


(自分も)肥(ふと)っていて 肥った女が好きだった。

ことに象のように肥満している女を愛したようであった。



そのころ奈良屋というお茶屋があった、後の金岩の場所である。

この奈良屋にお虎という仲居がいたが、非常に肥っていたので、

大西郷はお虎お虎と愛していた。



芸者などで大西郷に愛されたものはいないが、

このお虎だけは随分可愛がられたようである。



大西郷が、いよいよ幕府を討つために京都を出発するということになった。



お虎は別れを惜しんで、京都から大津まで駕籠をうたせて見送った。

大西郷は非常によろこんだ。

「戦の首途《かどで》に 虎が送ってくるちゅうは縁起がよか」

と大変な上機嫌で、褒美に三十両出した。

その頃の三十両というのはたいした金である。




お虎は西南戦争で、大西郷が死んだと聞いて、ひどく悲しんだが、

それから三年して 自分も死んだ。




「恐らく西郷さんから、女でお金を貰ったのはお虎さんだけでしょう」

と君尾はいっていた。



                  — 「恋の西郷隆盛」抜粋 維新侠艶録より











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彼の愛したお虎さん。


彼女が運んでいた料理がよく盛られていたのは
きっと、こうした器たちであったのかもしれません。






この器を見るたび、その後、士族たちの思いを一心に受けながら
自身は壮絶な死を遂げる西郷隆盛は、包囲の輪が縮まる中、
京都での短くも楽しい日々を想起していたかもしれず

と僕は思います。



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豆皿研究で知られる三好一先生の文献の中に、三好先生の血縁の方が、
当時、京都の島原で仲居の歴があったことから
この器群を、西郷隆盛がこよなく愛していたことが分かっています。



仲居さんであったその血縁の方は
店を辞めるとき、使われなくなっていたこうした器たちを、
わざわざ数点、大事に貰い受けたそうです。







西郷隆盛がこれらの皿たちを愛した理由は
あえて「わからない」とされていますが、
きっと、お虎さんという仲居さんを愛し大事にした、
西郷隆盛にまつわる少しふくよかなイメージや人間味ある話は、
そうした場所の中で、脇役である仲居さんたちの中では
他人に語るわけでもなく、ひそかに大事に語り継がれ
京都の歴史の片隅でそっと生きてきたのかもしれません。













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仲居さんたちの中で、自分たちの仕事に潤いを与える
古き佳き語り草の、象徴的な誇らしい品々であったのかもとも
僕は思います。





























道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。

天は人も我も 同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て 人を愛するなり。



                       — 『南洲翁遺訓』
 













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※写真出典1 / 国立国会図書館 早稲田大学図書館
※写真出典2 / 「日本の城」 昭和18年 ARS刊
          熊本城、維新後・西南戦争前の姿
※The photograph of the 8th row —
 Norio.NAKAYAMA©

※参議(さんぎ)/ 朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つ。「王政復古」
 により成立した明治政府においては、閣僚にあたる卿より上位で、閣僚たちを
 指導する政府首班たち。
※太夫(たゆう)/ 遊女、芸妓における最高位の称号。美貌と教養、品格を兼ね備
 えた、芸妓や遊女のみに与えられ、京の島原、江戸の吉原、大坂の新町、長崎の
 丸山にのみ称号は配置された。
 主に公家、大名、旗本ら上流階級や要人の酒席の相手をした。






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当店、 現在移転準備中です (西ノ京・円町での営業は2015年に終了致し
ました)。
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                               百芍丹
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by h_s_t | 2016-04-10 13:26 | 品々のこと