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2016-2017 年末年始の営業につきまして



本年も「大雪(たいせつ)」を越え

丁度十五日の後、二十四節気における「冬至」


仕入れの朝々や、山越えの折にも粉雪や霜を目にするようになりました。





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さて、年末年始につきまして、
当店、以下の日時にて営業をさせていただきたく思います。




12月23日(祝)… 営業
12月24日(土)… 営業
12月25日(日)… 営業
12月26日(月)… 営業
12月27日(火)… 営業(※「小皿豆皿 160円まつり」は12/23〜27です)
  :
《年末年始休業》
  :
1月3日(火)… 18:00までの営業となります
1月4日(水)… 18:00までの営業となります
  :
1月7日(土)… 営業
1月8日(日)… 営業


翌週以降は通常どおり、土曜・日曜・25日の営業となります。



一段と寒くなりました京都ですが、また同時に、
あたたかな食事や酒肴、場所場所
そして年末年始の京都の風物を楽しめる
一年でも最も京都を楽しめる 「今だけ」が街のあちこちに顔を見せる
一つの節気に思います。

京都お出かけの際、ぜひお立ち寄りいただけましたら幸いです。


















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 逆さまに 人往き来する 巷かな

  この幻を 冬至とぞいう

           ───── 岡部 圭一郎 / 1915 - 2012






冬至越え、皆々さま一陽来復にて。














                    百芍丹
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# by h_s_t | 2016-12-15 21:12 | 営業・休業のお知らせ

11/23(祝)~週末の営業につきまして



初穂から新嘗へと、天地においてはその一年を修める時節となりました。


今は「勤労感謝の日」として、その所以たる意図を残しますが、
宮中や伊勢宮をはじめ、初穂を以って新嘗を捧げ
また、夜には「豊明祭(とよのあかりのせちえ)」を行う地域や郷社も
まだまだ多いかと思います。


「豊明」とは酒に酔って顔を赤らめることで、
実に喜びに満ちた感が溢れる言葉に思います。

豊明祭は、新嘗祭のあと感謝をもって宴を催すのを指します。

いわば正月とともに、手に汗して働く人々が天地の公認のもと
酔って良い夜なのかもしれません。


因に、新嘗は必ず卯の日、豊明はつまり龍へ変わる夜に行われ、
出雲時代の名残や、干支になぞられたある種の意味をそこに感じます。






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さて、こうした11月23日(祝)を営業させて頂きます。
(翌々日となります25日(金)も営業となります)



 11月23日(祝) ・・・営業

 11月24日(木) ・・・お休み

 11月25日(金) ・・・営業

 11月26日(土) ・・・営業

 11月27日(日) ・・・営業



この週末にかけまして、営業日が少し多い週。

これといったお構いが叶わぬ店ではありますが
よろしければ散策がてらにお立ち寄り頂けましたら幸いです。

















立冬を過ぎて 秋から冬へと季節は進み、
季節を進める、柔らかな時雨も多い時節ともなりました。



雨脚も長くなく、古くから季節の移り変わりを促すものとして愛されてきた時雨。

特に京都に降る時雨は「北山時雨」とも古くは呼ばれ、この時雨が山から山へと移りながら降るのを「山巡り」と呼びます。

晴れている一方で、片方では時雨る「片時雨」

夜の時雨である「小夜時雨」


時雨の類名は多く、昔日の人々がいかに愛したかを知るのですが、
細い銀糸のような煌めきの後には、照り始めた陽の中に
濡れて鮮やかとなった木々の朱や橙色の浮かびを見ると
確かに、さもありなんと思う次第です。




 今はとて 我が身時雨に ふりぬれば

      言の葉さへに 移ろひにけり


           ─── 『古今集』/ 小野小町









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                   百芍丹
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# by h_s_t | 2016-11-20 16:26 | 営業・休業のお知らせ

猿楽面



狂言とともに「能」と総称されるようになったのは明治以降であり
現在で言われるところの能は 江戸期までは「猿楽」と呼ばれ、
その創始の正確なところは分かっていません。





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日本最古の舞台芸能である伎楽や
奈良時代に伝わった散楽に端を発するのではないかと考えられ、
散楽は当初、雅楽と共に朝廷の保護下にありましたが、
桓武朝の延暦元年(782年)、散楽戸の廃止以降
散楽師たちは寺社や街角などで楽しくその芸を披露するようになります。


この雑芸のうち、物真似などの滑稽芸を中心に発展していったのが猿楽と言われます。
当初は物真似だけでなく、散楽の流れをくむ軽業や手品、曲芸など、多岐に渡る芸能が行われました。



演目「福広聖の袈裟求め・妙高尼の襁褓乞い」
   僧侶が袈裟をなくして探し回る
   独身の尼さんに乳児用のオムツが必要になる

演目「京童のそらざれ・東人の初京上」
   口の上手な京童と、おのぼりさんの東人の珍妙なやりとり

           ─── 『新猿楽記』平安時代末期 / 藤原明衡



演目から、当時の都人たちの抱腹絶倒していた様子が伺えます。



ただ、同資料から興味深い言及が見られます。                 

平安時代中期頃より、神道的行事が起源の田楽、
仏教の寺院で行われた延年という芸能も興り、それぞれ発達し
猿楽へ影響を与える最中。

咒師と呼ばれる呪術者たちへの言及や演目が見られることから、
咒禁道の影響を受けた儀式を芸能と融合させた猿楽の創始型がこの時期に存在しており、
これは野に降りた陰陽師や神人たちの儀礼が介在するわけで
それらがこの時期の猿楽の基礎や発展に何らかの深い影響を与えています。














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その後の鎌倉から室町期。

猿楽は寺社の法会や祭礼に取り入れられたため、猿楽は寺社との結びつきを強めます。
最初は前時代同様に余興的なものとして扱われていましたが、寺社の祭礼の中に猿楽が
重要な要素として組み込まれるような現象も起き始めたのは、寺社の由来や神仏と人々の関わり方を解説するために、
猿楽の座が寸劇を演じるようなことがあったからと思えます。
これらがやがて「猿樂の能」となり、公家や武家の庇護をも得つつ、現代の能や狂言に発展していったと言われています。


もともと猿楽演者は大和において極めてマージナルな「七道の者」。
漂泊の白拍子、神子、鉦叩、鉢叩、猿引きらとともに下層の賤民とされ
同じ賤民階級の声聞師の配下にありました。
最も注意深く見るべき変化の時代でありながら、史実資料は出ても
当然ながら彼ら自身の資料は最も出にくい。

観阿弥や世阿弥らの登場によって現在の能楽とほぼ同等の芸能としての猿楽が形作られ
桃山期の隆盛、現代能の出発点を形成します。




注視すべきは、集大成させた観阿弥と世阿弥はそれぞれ時宗系の法名を持っており、
時宗の踊り念仏の持つ鎮魂儀礼としての側面を、猿楽(能)はこの時期持ち合わせていたことが分かります。
同時期に勧進聖が上演した唱導劇(仏教の教理を説く劇)の隆盛。


これらは民衆を対象として仏教の教義を見せ、寺社の造営資金を集め、地侍や台頭した戦国大名の庇護に入ります。
生身の人々を主な観客と想定する仏教を意識した芸能へと進化していったわけで
前時代の猿楽に組み込まれていた咒禁道の影響を受けた儀式を芸能と融合させたものが
超自然的な存在を肯定していたものとする陰陽道を含む呪術的要素あるものとすると、
七道というどちらかと言えばそこを出身とした人々の末裔によって、
相反する仏教的に自ら塗り替えられた極めて不可思議な宗教変遷の一端を、
芸能という活動の中に垣間みることができるように思います。






しかしながら自分は、個人的にはあの反閇(へんばい)や禹歩(うほ)(※いずれも道教や陰陽道下の方術)を思わす足運び、
立ち居、所作、声聞の原型はやはり仏教以前の散楽や猿楽の形態に、能はその骨子を完成させていたように思えてなりません。
















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猿楽面(男面)  室町期-桃山期   御売約




【10/30(日)の営業は18時までとなります】
29(土)は通常通り13時~19時の営業、翌30(日)は18時までの営業となります。
詳しくは「10/30(日)18時までとなります」にてご確認くださいませ。










                   百芍丹
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# by h_s_t | 2016-10-29 10:00 | 品々のこと