三寒四温へ          1

それは ある本屋の二階だった。




 二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子(はしご)に登り、
 新しい本を探していた。

 モオパスサン、ボオドレエル、ストリンドベリイ、イプセン、ショウ、トルストイ・・・・・・
 <中略> 彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。

 そこに並んでいるのは 本というよりもむしろ 世紀末それ自身だった。


              ───── 「或阿呆の一生 / 一   時代」 より

                    芥川 龍之介





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  百年余前の春の萌芽へ














自分は 『新思潮』 同人の一人となれり。

発表したきもの あるにあらず。
発表する為の準備 をする為也。

表現と人とは一(ひとつ)なり とは真なりと思う。
自分は弦のきれたる胡弓(こきゅう)をもつはいやなり。
これより弦をつながむと思う。


              ───── 1914年1月 芥川龍之介(作家胎動期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋



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時々又 自分は一つも思った事が出来た事がないような気もする。

いくら何をしようと思っても、「偶然」の方が遥に大きな力で
ぐいぐい外の方へつれ行ってしまう。
全体 自分の意思にどれだけ力があるものか疑わしい。


              ───── 1914年3月 芥川龍之介(作家胎動期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋


















東京ではすべての上に春がいきづいている。

平静なる しかも常に休止しない力が
悠久なる空に雲雀(ひばり)の声を生まれさせるのも
程ない事であろう。


すべてが流れていく。

そして すべてが必(かならず)止るべき所に止る。


              ───── 1915年2月 芥川龍之介(作家胎動期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋



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いつ 僕のゆめみているような芸術を
僕自身うみ出すことが出来るか。

考えると心細くなる。

すべての偉大な芸術には
名状する事の出来ない力がある。


              ───── 1915年12月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    山本 貴誉司宛 書簡 原文抜粋




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※「或阿呆の一生(あるあほうのいっしょう)」/ 1927年、芥川の死後に見つかった
 文章で、自分の人生を書き残したと思われている。

※新思潮/ 『帝国文学』に対抗して創刊された日本の文芸誌。大正文学の一つの
 拠点になった。
※胡弓/ 多くのものは3本の弦を持つ和楽器。
※井川 恭(1888-1967)/恒藤恭。法学者。一高時代の同級生。卒業後も、信頼
 おける良い親友関係は長く続く。
※一高(=旧制第一高等学校)/現在の東京大学(教養学部)等の前身となった学
 校。一高の卒業生の多くは東京帝国大学へ進学。
※山本 貴誉司(1892-1963)/ 府立三中時代の同級生。後年に芥川の妻となる
 山本文の叔父にあたる。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。 改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。









                           百芍丹
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# by h_s_t | 2017-03-08 12:00 | 日々のこと

三寒四温へ          2




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あなたのものは 大変面白いと思ひます

落着があつて 巫山戯(ふざけ)てゐなくつて

自然其儘(そのまま)の可笑味(おかしみ)が おつとり出てゐる所に

上品な趣があります

<中略>

あゝいふものを是から二三十並べて御覧なさい

文壇で類のない作家になれます



              ───── 1916年 夏目漱石(晩年期)
                    芥川龍之介 宛て書簡 原文抜粋




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夏目先生が大へん「鼻」をほめて、
わざわざ長い手紙をくれた。

大へん恐縮した。


              ───── 1916年3月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋



※鼻 / 同人であった『(第四次)新思潮』の創刊に際し、作品「鼻」を発表。同人内
 では酷評されるも、夏目漱石を皮切りに文壇・文藝界は絶賛をはじめる。
 新進作家として扉がようやく開き、以後芥川は耳目を集める存在となる。

 芥川は大きな緊張のもとに夏目漱石をすぐに訪問。以後、漱石を深く慕い門下と
 なり夏目も芥川を温かく見守るが、両人知らず、夏目の死期が近づいている。






















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本をよむ事と かく事とが(論文も)
一日の大部分をしめている。

ねてもそんな夢ばかり見る。



何だかあぶないような

そうして愉快のような気がする。


来るものをして 来らしめよ と云う気がする。


              ───── 1916年3月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋







書きたい事が沢山ある。

材料に窮すると云う事はうそだと思う。

どんどん書かなければ材料だって出てきはしない。



              ───── 1916年7月 芥川龍之介(小説家誕生期)
                    井川 恭 宛て書簡 原文抜粋







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※井川 恭(1888-1967)/恒藤恭。法学者。一高時代の同級生。卒業後も、信
 頼おける良い親友関係は長く続く。
※一高(=旧制第一高等学校)/現在の東京大学(教養学部)等の前身となった
 学校。一高の卒業生の多くは東京帝国大学へ進学。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。









                           百芍丹
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# by h_s_t | 2017-03-07 12:00 | 日々のこと

三寒四温へ          3



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先生。 また手紙を書きます。


我々の長い手紙をお読になるのは、御迷惑だろうと思いますが、
これも我々のような門下生を持った因果と御あきらめ下さい。

その代り御返事の御心配には及びません。
先生へ手紙を書くと云う事が それ自身
我々の満足なのですから。


<中略>


どうかお体を御大事になすって下さい。
修善寺の御病気以来、実際我々は
先生がね(寝)てお出でになるというと ひやひやします。

先生は少くとも 我々ライズィングジェネレエションの為に、
何時(なんどき)も御丈夫でなければいけません。

これでやめます。



廿八日                  芥川竜之介
 夏目金之助様 梧下




              ───── 1916年8月28日 芥川龍之介(新進作家期)
                    夏目漱石 宛て書簡 原文抜粋




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お手紙二通とも拝見しました。

難有(ありがと)う。

毎日さびしく暮している身になると これほど嬉しいものはありません。
今 東京からかえったばかりです。

東京へ行っては 二晩つづけて御通夜をして
それから御葬式のお手伝いをして来ました。




勿論(もちろん) 夏目先生のです。




僕はまだ こんなやりきれなく
悲しい目にあった事はありません。

今でも思い出すとたまらなくなります。

始めて僕の書く物を認めて下すったのが
先生なんですから。

そうしてそれ以来 終始僕を鞭撻して下すったのが
先生なんですから。

こうやって手紙を書いていても先生のことばかり
思い出してしまっていけません。


<中略>


何だかすべてが
荒涼としてしまったような気がします。
体の疲労が恢復(かいふく)しきらないせいもあるのでしょう。

あした早く起きなければなりませんから
これでやめます。
 匆々。


十二月十三日夜                  芥川竜之介
 塚本文子様 粧次




              ───── 1916年12月13日 芥川龍之介(新進作家期)
                    塚本文 宛て書簡 原文抜粋












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※夏目金之助[夏目漱石(1867-1916)]/東大英文科卒。1905年処女作「吾輩
 は猫である」を執筆し高い評価を得る。門下生たちに敬われつつ「明暗」執筆中
 に逝去。享年49歳。
 手紙の前年の1915年に芥川が発表した「鼻」を激賞。若き芥川が作家の道を歩
 む大きな一歩を与え、芥川も漱石を親しく師と仰ぎ、学識と人格を尊敬していた。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。

※梧下(ごか)/手紙の脇付に用いて敬意を表す語。梧右・机下など類語。
※匆々(そうそう)/草草に同じ。手紙文の末尾に急ぎ走り書きをしたことをわびる
 意で、書き添える語。
※粧次(しょうじ)/女性あての手紙の脇付に用いる語。










                           百芍丹
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# by h_s_t | 2017-03-06 12:00 | 日々のこと