三寒四温へ          4



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文ちゃん。


僕はまだこの海岸で、本を読んだり原稿を書いたりして暮らしています。
何時頃うちへかえるか それはまだはっきりわかりません。
が、うちへ帰ってからは、文ちゃんにこう云う手紙を書く機会が
なくなると思いますから、奮発して一つ長いのを書きます。
 
ひるまは仕事をしたり泳いだりしているので、忘れていますが、
夕方や夜は東京がこいしくなります。
そうして早く又 あのあかりの多い にぎやかな通りを歩きたいと思います。
しかし東京がこいしくなると云うのは、東京の町がこいしくなるばかりではありません。
東京にいる人もこいしくなるのです。


そう云う時に 僕は時々
文ちゃんの事を思い出します。



文ちゃんを貰いたいと云う事を、僕が兄さんに話してから何年になるでしょう
(こんな事を文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか知りません)。



貰いたい理由は たった一つあるきりです。
そうしてその理由は 僕は文ちゃんが好きだと云う事です。
勿論(もちろん)昔から好きでした。
今でも好きです。
その外に何も理由はありません。



僕は世間の人のように結婚と云う事と、いろいろな生活上の便宜と云う事とを
一つにして考える事の出来ない人間です。
ですからこれだけの理由で兄さんに文ちゃんを頂けるなら頂きたいと云いました。
そうして それは頂くとも頂かないとも
文ちゃんの考え一つできまらなければならないと云いました。


僕は今でも兄さんに話した時の通りな心もちでいます。
世間では僕の考え方を何と笑ってもかまいません。


<中略>


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僕のやっている商売は今の日本で一番金にならない商売です。
その上、僕自身も碌(ろく)に金はありません。
ですから生活の程度から云えば 何時までたっても知れたものです。
それから僕はからだもあたまも あまり上等に出来上がっていません
(あたまの方は、それでもまだ少しは自信があります)。
うちには、父、母、叔母と、としよりが三人います。




それでよければ来て下さい。


僕には文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思っています。


繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。

それでよければ来て下さい。




この手紙は人に見せても見せなくても文ちゃんの自由です。


一の宮はもう秋らしくなりました。
木槿(もくげ)の葉がしぼみかかったり
弘法麦の穂がこげ茶色になったりしているのを見ると心細い気がします。
僕がここにいる間に 書く暇と書く気とがあったら、もう一度手紙を書いて下さい。
「暇と気とがあったら」です。書かなくってもかまいません。
が、書いて頂ければ、尚うれしいだろうと思います。

これでやめます。 皆さまによろしく。


                    芥川竜之介



              ───── 1916年 芥川龍之介(新進作家期)
                    塚本文宛て書簡 原文抜粋
















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※文(ふみ)ちゃん[塚本文(1900-1968)]/後(1918)に芥川と相思相愛に結婚。
 父を早逝、母の実家山本家に育つ。母の末弟が芥川の友人で、幼い頃から芥川に
 親しんでいた。芥川の多くの作品に登場し、芥川自身、深い愛情を捧げていた。
※文頭の「大正五年八月廿五日朝 一の宮町海岸一宮館にて」は、冠省させていた
 だきました。ここに注釈致します。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。








                          百芍丹
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# by h_s_t | 2017-03-03 12:01 | 日々のこと

三寒四温へ          5


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チェホフはご承知の通り、「桜の園」の中に新時代の大学生を点出し、
それを二階から転げ落ちることにしています。
わたしはチェホフほど新時代にあきらめ切った笑声を与えることはできません。
しかし又 新時代と抱き合うほどの情熱も持っていません。


なお又わたしはブルヂョオワたると否(いな)とを問わず、
人生は多少の歓喜を除けば、多大の苦痛を与えるものと思っています。
これは近頃Nicolas Ségurの書いた「アナトオル・フランスとの対話」を読み、
一層その感を深くしました。
ソオシアリスト・フランスさえ彼をソオシアリズムに駆りやったものは

「軽蔑に近い憐憫」

だと言っています。


右突然手紙を差し上げた失礼を赦して頂ければ幸甚です。
頓首。


  昭和二年 三月六日              芥川竜之介
  青野季吉 様


              ───── 1927年 芥川龍之介(晩年期)
                    青野季吉宛て書簡 原文抜粋




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※青野季吉(1890-1961)/評論家。大正後期から『種蒔く人』、『文藝戦線』
 同人になりプロレタリア文学の擁護者、理論家として活躍。
 芥川の死後、二次大戦勃発。戦後に「通俗小説に納まる俗物性に我慢のな
 らない彼等の作家精神こそ重大」と批評(昭和25年)。
※同時期、文芸界含め、知識・文化人層は左傾化を良心の責務と考える風潮
 が介在し、共産主義思想に信を置くことができなかった芥川は、一転、「ブル
 ジョワ作家」の代表として罪なく攻撃のターゲットとなり、何知らぬ人からも誹
 謗中傷が集中。精神を衰弱させる一因となった。
※底本を石割透氏編(全書簡)としております。改行等は判読しやすく改行し、旧
 字等の凡例に関しては底本に沿います。ご了承ください。








                          百芍丹
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# by h_s_t | 2017-03-02 16:16 | 日々のこと

三寒四温へ、遡る


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  同年(昭和二年) 芥川 龍之介、
  「ぼんやりとした不安」という言葉を残し
  永眠。 享年35歳。

  1892年(明治25年)3月1日生まれ。










  彼はペンを執(と)る手も震えだした。

  のみならず涎(よだれ)さえ流れ出した。

  彼の頭は0.八のヴェロナアルを用いて覚めた後(のち)のほかは
  一度もはっきりしたことはなかった。

  しかも はっきりしているのは やっと半時間か一時間だった。

  彼はただ薄暗い中に その日暮らしの生活をしていた。


  言わば 刃のこぼれてしまった、細い剣(つるぎ)を杖にしながら。

                     (遺稿 最終項)



              ───── 「或阿呆の一生 / 五十一   敗北」より
                     芥川 龍之介 












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※「或阿呆の一生(あるあほうのいっしょう)」/ 1927年、芥川の服毒自殺後に見つ
 かった文章で、自分の人生を書き残したと思われている。

※ヴェロナアル/バルビタール。1903年から1930年代中ごろまで使われていた睡
 眠薬。







                        百芍丹

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# by h_s_t | 2017-03-01 12:00 | 日々のこと