ころ茶碗

80年代の骨董ブームと呼ばれた折には、いわゆる蕎麦猪口にくらべ
やや可哀想な扱いを受けてきた器種と先輩方からは聞きます。

時代は変わり、ここ数年で評価というよりその真価に
思う以上の豊かな奥行きがあることで、楽しまれる方が多くなった品かと思います。
思えば秦さんなど、かつては多くの数寄者の目に留まった器群でした。


茶器はもちろんですが酒器見立ても可能な器形で、
何よりその静かで親しみやすい柔和な佇まいは、
母性のような包容力といえば大げさですが優しさの形態化です。







美術評論家であり学芸員でもある末続堯さんの著書を参考にすると、
その名の由来は「ころころとしているから」とされています。

ただ、陶磁名考などの他の古い文献や資料には記載がない中、
ほかではあまり聞かぬのに、骨董業界では当然のように使われている呼称であることから考えると、
存外、私たち古い品々を扱う者や茶事に携わる方たちがある種の区別のために、
かなり古い時期にそう呼び始めただけのことかも知れません。



当店にも丸紋のかわいい茶碗が、先日九州の懇意の方よりやってまいりました。





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茶碗 (六ツ段目)
  恋の薬がな 茶碗一つ 茶碗一つが 及びなや
  せめてこの手に 手に是ほど 御身ゆゑにこそ
  立たじばな立て 先づはお寝るよの 腹立ちや。

                       ― 初出年代不詳 / 越後瞽女 口伝唄




かつて、三味を持ち各地を歩き、門付けなどで歌を聴かせた
全盲の(方が多かった)瞽女(ごぜ)さんの歌もそうですが、
江戸期の伴天連信徒(キリスト教徒)の方たちの風習やその生活の実際は
口承を後年に綴ったものの、いまだ資料化されぬ土着の口伝などが多く
編纂された資料はとても貴重に思えます。





やってきた「ころ茶碗」、一見は伊万里によく見られる丸紋の佳品かと思いました。


ただ、描かれた意匠は少々変わっており、

 返し判じ(白い部分を見る)の四ツ向い銀杏に見せた古いクルス文、
 下がり藤花に似せた文様は基督教での復活を意味する8の曜(8つの星)※、
 同時期の伊万里に見られる四方襷などの斜方の各種格子文ではなく
 セーマンドーマンのドーマンを指す縦横直交の魚子(まなこ・ななこ)に似た格子

という極めて異風な文様で彩られています。




全体のなりから察するに、その生まれは伊万里の内・外山ではなく
江戸後期の波佐見などの脇窯ではないかと思います。
初期伊万里を思わすかのような極めて小さな高台、
やや急がれた焼成か、窯の中でも匣(サヤ)などに収め火回りに変化が出たのか
といった発色ながら、溶けるように澄んだ印象です。



セーマンドーマンの、特にドーマンの格子や曜(星)が描かれていることには特色があり、
海に従事する者であったことを色濃く示します。

ドーマンはトモカヅキ(共潜女/ドッペルゲンガーのように自分そっくりの者が
潜ると海中に居り、忌みや穢を打たれる)などの、さまざまな海魔からの魔よけとされ、
漁師や海女は自分の漁道具や、衣類、腰巻や褌などの下着にまでもその記号を記しました。
畿内から離れた地域ほど、その線数は必ずしも九字ではなかったようです。
また、こうしたまじない的なアニミズムや民話と宗教が渾然一体に共存するのは
中世の庶民史では村祭りと彼岸の関係など多く見られる現象に思います。



諸島群の多い長崎、佐賀などの海辺の郷の信心ある良民たちが、
伊万里よりも役人の目がわずかに甘かった地元の波佐見の窯人に
人目をしのんで独自の文様を依頼した品であったのか、
一客のみ大事にされ、今日まで伝わった品です。



海での労働を終えた夕べに、みな笑顔で集まり、
きっと静かな祈りの時間が過ごされたことかと思います。





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 染付 波佐見ころ茶碗<江戸後期> 御売約 個人蔵




※7をひとつの周期や区分単位とし、8は復活や再生を意味する神秘的な数。




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# by h_s_t | 2013-09-18 16:36 | 品々のこと

『こっとうさんぽ』 の夜長なり

週は、ようやく二十四節季でいうところの「白露(はくろ)」を過ぎ、
暦のうえでは野の草々に露が静かに降りはじめるころです。



 陰気ようやく重なりて、露こごりて白色となればなり

                   ― 江戸後期 / 太玄斎(松平頼救)『暦便覧』





五行思想の中では、四季の変化は五行の推移によって起こると考えられ
四季に対応する五行の色として、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」、
といった言葉が生まれ、秋の色は白とされています。







夜にはその気候の移り変わりを感じる涼風で、少し星もはっきり映りだし、
また、それにふと気づくことが、「星月夜(ほしづきよ/せいげつや)」が秋の季語であることを
あらためて意中にすんなりと分かり示します。

星を眺めていたりすると、回した両腕に触れる、肩のひんやりとした感触は
子供の頃よりなぜか心地よかった思いがあります。





 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども  風の音にぞ おどろかれぬる

                   ― 延喜五年(905)/ 藤原敏行『古今和歌集』



 秋たつや 川瀬にまじる 風のおと
 
                   ― 昭和十一年(1937)/ 飯田蛇笏『句集「霊芝」』



 秋の夜の あくるもしらず なく虫は  わがごと物や かなしかるらむ

                   ― 寛平四年(892) / 是貞歌合










敬愛する沢田眉香子さん(僕は普段、「沢田先生」と呼ばせて頂いているのですが)から、
著書である『京都こっとうさんぽ』をお贈りいただきました。

「行く」「やる」と言って動かない僕の勉強不足に、ついに業を煮やされたかと
いつもそのお心遣いに山々の感謝の気持ちです。




沢田さんは竹を割ったような判断力と、柔らかな猫の毛のような緻密さ、繊細さ、
コインシデンティア・オポジトルム(反対物の一致)とすればよいのか
極めて稀有な才能と人間的魅力にいつも溢れておられます。


二律背反に美を観る才は、日本の美感の中では確たる王道で、
日本人は小さな盆栽の中に大樹を、小さな器の表情の中に生や長大な時間を観て、
小さな茶室の中に自然や宇宙のひろがりを感じ、
句や歌の中に巻物に負けぬ美文を構成し、
その意識や才を高め続けてきた民族のように思います。





沢田さんの文章には古い品々への愛情もさることながら、
それに携わる人々、それを楽しむ人々、
そして新たな楽しみを探る人々への愛情に満ち溢れています。


僕にとっても、品々のことで悩みや行き詰まりを見せたとき、
なぜかいつも運よく、話す機会に恵まれたり、
お会いする機会に恵まれたりで、
「暗夜に灯を見る」をそのままに思うことが少なくありません。


沢田さんと巡り合えたのは偶然なことですが、
この良縁のありがたみを常々感じます。





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「京都こっとうさんぽ」光村推古書院版










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# by h_s_t | 2013-09-13 16:34 | 日々のこと

瀬戸輪線文 豆皿

一目みて、「ああ、良い系譜だなあ」とその健やかさを感じた品です。



骨董というには憚られる時代性のものですが、加藤作助の輪線とは言わぬまでも
瀬戸・赤津で生まれた、小品ながらもその土地の息吹を感じる佳品です。

そして、古い筆致をただそのまま踏襲したわけでもなく、
その点がとてもとても清々しいです。








瀬戸というと、江戸も後期に入りつつある享和年間頃※に、
伊万里(現在の有田市周辺)に次いで磁器(新製焼)の焼成に成功しますが、
それまでに焼かれていた陶器質のものを本業焼として
当時から区分されています。


この江戸後期にもたらされた新技術たる磁器焼成を行うことなく、
昔ながらの本業で、陶体を頑強な厚さにし、かつ高温の酸化焼成を行った
「石皿」と呼ばれる器種が、品野、笠原、赤津などで生まれます。

呉須や鉄釉で様々な文様が描かれ、柳宗悦が工芸品のために発行した雑誌『工藝』の
創刊号(昭和6年1月)でも特集が組まれ、石皿の美しさが取り上げられています。



中でも、馬の目が驚いた様子とも言われている複輪線の「馬の目皿」や、
それ以前にもあった「麦藁手」と呼ばれる縞紋など、
瀬戸と輪線や縞紋などの線紋は切っても切り離せない関係にあるように思います。

それぞれに名の由来はいろいろ説はありますが、いずれも同様に
束ねた藁、なびく野の草、風の巻くさま、水の流れなど、
自然からの何かしらを感じ取ったはずであろう線文様は、作為を感じさせぬやさしいものです。



昔から近所近在に行き渡って使われている雑器は
紅鉢といわれる大きな深めの鉢であります。
また「石皿」と呼ばれる 径一尺前後の浅い大皿であります。
旅籠屋や煮売屋を始め、どんな台所ででも重宝がられました。
この皿には皆巧みな絵を描きましたが、いつしかたえて今は無地ものばかりであります。

                   - 1948 / 柳宗悦『手仕事の日本』(靖文社)









「馬の目皿」は明治期に一度完全に途絶したとされています。

ひとつの意匠としての途絶とするか、
新たな創意で大正昭和に引き継がれた、とするかは
僕としては、この小さな豆皿を手にしてみると自ずと後者に思えます。




現在、確かにかつての江戸後期の馬の目皿そのままの品も
復古的にまたいくつかの窯で作られ始めました。
骨董の分野においては、それらは混乱をきたす「リプロダクション」と
揶揄されることも多くあるかもしれませんが、
確立され、喪失してしまった過去の原点確認として重要なひとつの試みと感じます。


加えて思うのは、途絶したものを生き返らすことに増して過去の工芸から学ぶべきは、
同時に前に向いて、この小品のように「その意匠」ではなく
「その健やかさ」を守り新たな歩を進める、ということがさらに大事に思えます。





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 瀬戸赤津 輪線文豆皿<昭和後期頃> 御売約 個人蔵(全点)


※瀬戸市歴史民俗資料館の考証年代に沿い記載しました。
  実操業の草創期はその後年の文化・文政年間となる見解があります。
※麦藁手は江戸時代後期以前より焼成がなされていた伝統的文様です。









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# by h_s_t | 2013-09-12 16:30 | 品々のこと