吉野

伸びやかな筆致が活きていた時代の
力強く美しい絵吉野の小さな木皿です。



描かれた花は清浄を表す芙蓉(ふよう)。

太閤秀吉が晩年の吉野の大茶会で、
時の茶人たちにその意匠を考案させたのが(あるいは見出させたのか)
初出とも言われています。




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時代はその後、大きな動乱を経て徳川の時代に移り、
滅亡した豊臣氏の残した大きなモニュメントである大坂城※も
新時代への移行を示すプロパガンダを大いにこめ、破壊し再構築され、
千利休に続く、豊臣政権からの宗匠であった古田織部も切腹を命じられ
前時代の茶事や文化に区切りがつけられます。




そんな中でも、江戸はいざしらず京都・大坂の上方では
かつての美意識を守るかのごとく、吉野の芙蓉絵は細々とその命脈を
引き継ぎ続けました。

他地域に比べ、畿内で古手の吉野が見つかることが多いのは
太閤時代を体験した畿内文化の「かつての、町人も楽しめた文化世界」への
一種のオマージュやレミニッセンスと同時に
徳川政権下の美文化への乖離があったのかとも思います。





その後、徳川の時代も終わり、明治という新時代を過ぎ、幾数年。
世相が近代化に至る中、吉野は急速にその伸びやかな線に力を失い、
意匠に託された闊達な野の意味を失っていきます。






 吉野 木皿<江戸時代後期頃> 御売約 個人蔵





※旧称地名により現在の大阪とせず記載しました。




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by h_s_t | 2013-09-24 16:44 | 品々のこと
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