浄法寺

冬から厳冬へ。


北の産地の塗は、否応なく肌身に温かく感じ
時を要した素朴な木地と、みっちりとした密度の漆は
現代生活の中では根本から忘れてしまいそうな
山河に根ざした「生活の温度」を喚起させてくるようです。


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浄法寺


発音は濁り、”じょうぼうじ” がその読み音となります。

室町期以前、上古からの一大産地ながら、骨董に興味がある方々以外には
あまり知られぬままに今に至ったような気もします。




浄法寺周辺産地の塗師(ぬし)のことは、柳宗悦もその書の中に
塗師たちの町の様子と、彼らやその暮らしに
二度と会い見舞えないことを予感させる文章を寄せています。

さまざまな努力はあるものの、その予感をしたためた随行文のとおりに
古手のつくりは古い品々の中にのみ残りました。



あらゆる漆藝から日本人そのものが遠ざかった現実があります。







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古い時代を顧みると、山と木々を愛で、その性格を知り尽くし
山と木々から許され、木を挽き素地型を作った木地師(きじし)たちは
同じく漆の木々を知り尽くし、山深い漆の森から愛された塗師(ぬし)に木地を託し、
ひとつひとつの椀や皿は仕上げられました。


こうして生まれた品に、山河の健やかな斎(いわい)が宿されていたとしても、
実物を手にして感じるのは「何ら不思議ない」という実感以外ありません。




斎(いわい)を宿す品を迎え、里の家々も斎(いわい)を宿す。


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「斎」と「忌」という文字は、そもそもは表裏一体に使われた時代があります。




「生き、逝くる」ということの難しさと、暮らしの中の清廉な「思いや気持ち」が、
今よりももっと端的に深いところにあった時代。

ゆえに今もって、「人間らしい営みのあたたかさ」という無垢なものを
漆の器たちは、この凛呼たる寒さの中
雪のように静かに語ってくれるように思います。




手に触れると溶けてしまう美しい風花は、
まるで、人の一生もかくあらんと言うかのようであっても、
それでも人の営みは 「あたたかい」 と気付かせる体温を、
小さな漆たちはしっかりと今も保つかのようです。




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  目の前に 淡雪ちりぬ 何ごとも 云はで死ぬると 云ふ形して

                           - 与謝野 晶子 / 1878-1942
 









※国語辞典においても「いみ」には本来、斎と忌のふたつの字が関連付けられ
 ていたことが記されています。この二つの語彙が乖離していったことに関し
 てはまたの機会とさせていただきます。
※漆器の製造は古くから分業的な生産工程である点を注釈しておきます。
※浄法寺塗からの古い漆生産に関わる内容を展開していますが、現地各々や
  個人と直接の関連性を意図する内容でないことと、単純に同義の内容として
  捉えてはいけないことを、注意をもって付記させていただきます。





                             百芍丹
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by h_s_t | 2014-01-25 00:00 | 品々のこと
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