山の神


山神信仰


狩猟、炭焼、杣(木材の伐採)や木挽(製材)、木地師(木器製作)、鉱山関係者など、
山に関わったり、山に暮らす人々によって、それぞれの生業に応じた形で
独特の信仰や宗教的な行為が形成され、伝承されてきました。







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温かな笑みからは、豊穣なる山からの恵みと
何より里人の、山への良き関係性が見て取れます。



わずかながらも人形代(ひとかたしろ)からの変移を思わす造形。

仏師の作ではない庶民の手による神像は、根松材なのか
重硬な木を丹念に彫り上げた素朴な作行きで、
暮らしの依りどころである身近な存在であったのであろう
日常からの、山を大事に思う心の発露がそこに見えます。




同時に、その立ち姿を目にすると何故か全身が総毛立つ。
おろそかにしてはならない、一種の結界を有するような
畏敬の念が形となっている気配も漂っています。







最も古い歴史を持つであろう自然崇拝という信仰。
どれほど昔にその信仰は始まったのか、濃密なる山と人との関係性。


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現代人が単純に 「山の神」 とひとくくりにするのは早計で、
仏教系の神仏像と異なり、土着の信仰でもある
「八百万の神々」と換言できそうなこれら山の神々に
決まった形はありません。








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「まんが日本昔ばなし(1975-1994/TBS)」にも登場した
中国山地(山口県とされる)の山の神。
自分の姿があまりにも醜いため、自分よりも醜い者を見ると気を良くしたとされます。
このため、山に入る者は秀麗な面相とはいえない
干物になった虎魚(オコゼ)を持って山に入り、山の神に奉納しました。
実際、この風習はつい最近まで、場所を異にする秋田・阿仁地方のマタギの間でも
固く守られてきていたことが知られています。


山深い神室連峰に抱かれた山形県金山などの山々では、
平安期の陰陽道の伝播経緯の中、人形代(ひとかたしろ)が地方ごとに
独自の発展を遂げていったと思われる、式神を思わす木製人型の神像。


大山祇神として天狗の形態をとるのは福島の台倉山。


上越(群馬・雨乞山など)では男神・女神と思われる対神の山神、十二様(じゅうにさま)。
一年の月数、山の神の子供の数、さまざまな説がありますが
十二の意味は分かっていません。
場所を異にして実話をベースにしたと言われる遠野物語(柳田國男)九十一の中でも、
「赤い顔の男と女」として男神・女神と思われる山の神が登場しており
対神とする地域は、広域かつ、かなり多かったことが窺えます。


出羽(鳥海山系)では、それが山に入った先人を指すのか、
山の幸の収穫を指すのか、示現した神には鎌や鉞(まさかり)など
刃物の印が絶えない。


また柳田國男は、一つ目小僧は山の神の零落した姿なのだと、
明治から昭和初期にかけて発表した怪異に対する論考をまとめた著作
「妖怪談義『一つ目小僧その他』(1956)」の中で触れています。
柳田國男による山神考は、人身御供と隻眼の関係も説かれており、
これはもともと、神に捧げるべき生け贄の人間が逃亡しないように
片目(と片脚)を傷つけていたのが、神格と同一視されるようになったのが
原因であると考察は閉じられています。






まさに他種多様。

地方や地域という縦軸があるならば、
さらに、人間の山との関わり方という横軸の多様性を物語るもので
この縦と横の軸が交差する点の数だけ、
様々な山や森、木々、岩や滝の神々が居るわけで
森羅万象そのもののようでもあり、彼らの当時の生活風習から
丹念に読み解く必要性があるように思います。



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その名さえ正しく伝わっていないもの。

名前そのものを忘れられてしまったもの、
習合したもの、形さえ消えたもの、
元より形の無かったもの、
依るべき山や森もろともに消えたもの。










明治時代のはじまりとともに、生活圏にあった山々や山林にも
細かな所有権が生まれました。

かつて、そこに生業や生活の場を自由に持っていた人々は徐々に減り
霊場となるような霊山などはともかく、
明治政府の進める神道国教化とも相乗したのか、
近隣の山の神々の多くは忘れらていきました。



















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1878(明治11)年、日光の男体山に登ったアメリカの生物学者モース。

山の頂上に、期せずして神社という祭祀施設があるのに瞠目し、
スケッチとともに、著書の中で次のように記しています。





 聞くところによると、日本の高山の全部とまでは行かずとも、

 殆んどすべてには、神社があるそうである。


 驚くべき意想であり、彼等の宗教に対する帰依である。


 八月にはかかる場所へ、日の出とともに祈祷をささげんとする人々が、

 何千人と集まる。

 その中には難苦を堪え忍んで、何千哩の旅をする者も多い。


 私は我々の宗教的修業で、メソディストの幕営集合以外、

 これに比すべきものは 何も思い出せない。



       ─────  『日本 その日その日』 抜粋  Edward Sylvester Morse / 1838 - 1925



















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 山神像 〈出羽〉   御売約 個人蔵

※参考文献・資料 /
 国立歴史民族博物館
 東京国立博物館
 「消えゆく山人の記録、マタギ(全)」 太田雄治
 「最後の狩人たち」 長田雅彦
 「マタギ 日本の伝統狩人探訪記」 戸川幸夫
 「山の神と日本人」 佐々木高明
 「ブナ林の民俗」 赤羽正春
 「アイヌ学入門」 瀬川 拓郎
 「図説 民俗探訪事典」(1983)
 「日本民俗学大系7」(1959)より井之口章次氏論説
 山歩きアラカルトwww5e.biglobe.ne.jp/yamamosa/index.html
 幡平市/鹿角街道WEB
 まんが日本昔ばなしデータベースnihon.syoukoukai.com

※The photograph of 4th row ― 
 菊池和博2004「山の神の勧進と男子成長祈願」 『東北学』10 ©


※オコゼと山神/ オコゼを山神に奉納した点については、地域によっては類似の
 姿を持つ川魚のカジカ科の魚が当てられたと思われる形跡もあり、実際、同種
 の魚に「山ノ神」という和名を持つものも存在します。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%9F
 








                        百芍丹
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by h_s_t | 2015-04-09 21:29 | 品々のこと
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