2015年 08月 23日 ( 1 )

逍遥


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そして自身もようやくまた
旅に出たいと思うようになりました。

不思議なもので、皆さまにもきっとそういう場所はあると思うのですが
僕にも10代のころから延々と、目的も無くふと訪れ、
目的も無くただ逗留を続ける町があります。











この瀬戸内の小さな町は、かつてはたくさんの「良いおばけ」が住んでいて
今も少なからず住んでいるであろう印象を留めています。
町が林芙美子に所以のある場所であったことも起因していたのか、
逍遥の発端が何であったかはよく思い出せません。




「人さまの縄張りに入ったという動物的な不安」

「仮想な生活を観てしまう矛盾した不安」


こうした不可欠なものが、昨今の旅からは消えたことに
少し戸惑いを感じ、仕入れではない旅からは遠ざかっていました。

こうしたことを書くと、ますます理解しがたい店主に思われるのかもしれません。




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(1月×日)

一月の白い海と
初なりの蜜柑の匂ひは
その日の私を
売られて行く女のやうに さぶしくしました。



爪の垢ほどにも価しない私が、いま汽車に乗って、
当ても無く うらぶれた旅をしてゐる。
私は妙に旅愁を感じると 瞼が熱くふくらがつて来た。

便所臭い三等車の隅ッこに、銀杏(いちょう)返しの鬢(びん)をくつつけるやうにして、
私はぼんやりと、山へはいつて行く汽車にゆられてゐた。



古里の厩(うまや)は遠く去った。

花がみんなひらいた夜
港まで走りつゞけた私であつた。

朧(おぼろ)な月の光と 赤い放浪記よ
首にぐるぐる 白い首巻をまいて
汽船を恋した 私だつた。



一切合切が、何時も風呂敷包み一ッの私である。

私は心に気弱な熱いものを感じながら、古い詩稿や、
放浪日記を風呂敷包みから出しては読み返してみた。

体が動いてゐるせゐか、瞼の裏に熱いものがこみあげて来ても、
詩や日記からは、何もこみ上げて来る情熱がこない。

たつたこれだけの事だつたのかと思ふ。

馬鹿らしい事ばかりを書きつぶして溺れてゐる私です。




              「放浪記」 林芙美子 / 1903 - 1951  より


























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今は無くなってしまいましたが、戦後の闇市を思わせた海岸沿いのバラックのめし屋、
ほどなく歩くと対岸の島に渡る渡船が、この町にはあります。










町に張り出す山に目を向けると、山肌に添うように密集して建てられた
大正頃の家屋のひとつに、草木に飲まれゆく Fという風変わりな喫茶店があり、
この店の持ち主でもあるS先生にいつしか出会うようになりました。

在野の天才ともいうべき方で、心打ち解け、かつてのお仕事を見せていただいたりすると、
基礎という骨格が結局は応用の原点なのだとしか当時の自分にはわからず、
それでもこのとき受けた気付きは、今の仕事の中に生きることになりました。





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Kという集落に差し掛かると、かつての赤線地帯であったろう名残りを留め、
この、赤線特有の旧建築物のならぶ筋には、以前は鉄でできた真っ赤なくぐり門がありました。

いつも同じ場所にいる、殴られた野犬のような『眼』をした 黒いベストを着た昔ながらの客引き。
白昼、誰もいない通りに只一人客を待つという 現実離れを感じる風景を幾度か見ました。

あの誰も入っていないであろうキャバレー。
あの客引きは今でも健在なのだろうかと、ふと思うときがあります。

用もないのにその『眼』の前を通ると、自分はいかに関係が無い土地から来たばかりでなく、
そもそも、一切の関係が無い 人さまの領域に只一人居るのは自分であると、
旅というものが持つ本来の姿が鮮明に映し出されます。


思えば、この動物的な不安は旅に付随する大事な輪郭であったはずだけれども、
もはやそんなものは、今の世にどれほどの価値も無いのかもしれません。












知らないスーパーで買った土地の食べ物と酒を片手に宿に戻る。

投宿は渡船で対岸に渡り、海に面したKという、
古い船員宿を設え直したような民宿に泊まります。
窓からは海をはさんだ向こう岸の明かりが遠くに見え、
そのほか観るべきなどというものは何もありません。

自分に関連するものは何も無いはずなのに、
ずっとそこに居たような、来訪回数が増えたからそう思うのか、
それもだんだんどうでも良くなる諦観に近い感覚を、少し待っている自分に
気づくようになります。

旅に求めているものが、結局は人と異なりすぎているのかもしれないけど
エンツェンスベルガーと同じく、こんなものが僕の旅なのかもしれません。



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私に 『放浪記』 を貸してくれたのは、およねさんであった。
およねさんは、母の話では淫売婦であったが、
それがどんなものか小学生の私にはわからなかった。

<中略>

およねさんから借りた『放浪記』には、ところどころ傍線が入っていた。

それよりもおかしかったのは、地名がエンピツで書き直されていることであった。
たとえば北九州が八戸、四国の伊予が三本木、九州の桜島が浅虫、
といった具合にである。

それに「太物の行商人」が「反物の行商人」と訂正されてあるところを見ると、
およねさんは林芙美子と自分とをすっかり重複させて、
この本を自分の『放浪記』にしてしまいたいらしかった。

およねさんが、傍線を引いてあったのは、
「故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。」とか
「人生いたるところ木賃宿ばかりの思い出を持って、私は美しい山河も知らないで」
といったところだったような気がする。

本来がうそつきで、それに盗癖があるということから、
およねさんは話し相手もなく、工事人夫や行商人が来て
「お仕事」 をしているときの他は、窓から顔を出していた。


およねさんの口ぐせは、
「あたしは旅人だからね。」
と云うことであった。
およねさんを見ていると、長いあいだ同じ家に棲んでいるのに、
「そこに住んでいる。」 という感じはなく、
仮の住まいというか、宿に泊まっているという感じが強いのであった。

それは家具がなかったせいもあるが、およねさんの性格にもよるのだった。
たぶん、およねさんのような人のことを、放浪人格というのであろう。




私が高等学校に入って、故郷をはなれてから、
ほんの一年もしないあいだに、友人から来た便りで、
およねさんが死んだことを知った。



「旅する者にとって、幻滅はすでにおなじみのものだ。
退屈をはらいのけるために、かれらはめくらめっぽう劇薬に手をのばす。
にもかかわらず、かれらは逃亡をくわだてるまもなく、
すでにそのむなしさを とくと承知なのだ。」 (エンツェンスベルガー)



赤い腰巻の、うそつきの、梅毒もちの、田端義夫ファンの、
万引常習の、滅法お人好しの、南無阿弥陀仏の、
放浪記の およねさん。



あなたのために、 この本の一ばん最初の詩は、 『放浪記』にしました。




              「放浪」 寺山修司 / 1935 - 1983  より














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※ 逍遥 / あてもなく、あちこちを歩き回ること。
※ 文中に適正と思われない語彙が多数ありますが、参照した作品の制作当時の
  原作者意図のまま、他意無く原文どおりの記載をしました。
  ここに注記いたしますとともに、ご理解頂けますようお願い申し上げます。
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【 西ノ京での営業終了のお知らせ 】
当店、2015年8月をもちまして西ノ京での店舗営業を終了させていただきます。
詳しくは『2015年8月をもちまして 同地での営業を終えます』をご覧ください
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移転地、その他情報につきましては、またこの場よりお知らせさせていただきます。







                            百芍丹
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by h_s_t | 2015-08-23 22:43 | 日々のこと