吉野

伸びやかな筆致が活きていた時代の
力強く美しい絵吉野の小さな木皿です。



描かれた花は清浄を表す芙蓉(ふよう)。

太閤秀吉が晩年の吉野の大茶会で、
時の茶人たちにその意匠を考案させたのが(あるいは見出させたのか)
初出とも言われています。




b0306034_16455444.jpg






時代はその後、大きな動乱を経て徳川の時代に移り、
滅亡した豊臣氏の残した大きなモニュメントである大坂城※も
新時代への移行を示すプロパガンダを大いにこめ、破壊し再構築され、
千利休に続く、豊臣政権からの宗匠であった古田織部も切腹を命じられ
前時代の茶事や文化に区切りがつけられます。




そんな中でも、江戸はいざしらず京都・大坂の上方では
かつての美意識を守るかのごとく、吉野の芙蓉絵は細々とその命脈を
引き継ぎ続けました。

他地域に比べ、畿内で古手の吉野が見つかることが多いのは
太閤時代を体験した畿内文化の「かつての、町人も楽しめた文化世界」への
一種のオマージュやレミニッセンスと同時に
徳川政権下の美文化への乖離があったのかとも思います。





その後、徳川の時代も終わり、明治という新時代を過ぎ、幾数年。
世相が近代化に至る中、吉野は急速にその伸びやかな線に力を失い、
意匠に託された闊達な野の意味を失っていきます。






 吉野 木皿<江戸時代後期頃> 御売約 個人蔵





※旧称地名により現在の大阪とせず記載しました。




.
[PR]
# by h_s_t | 2013-09-24 16:44 | 品々のこと

ころ茶碗

80年代の骨董ブームと呼ばれた折には、いわゆる蕎麦猪口にくらべ
やや可哀想な扱いを受けてきた器種と先輩方からは聞きます。

時代は変わり、ここ数年で評価というよりその真価に
思う以上の豊かな奥行きがあることで、楽しまれる方が多くなった品かと思います。
思えば秦さんなど、かつては多くの数寄者の目に留まった器群でした。


茶器はもちろんですが酒器見立ても可能な器形で、
何よりその静かで親しみやすい柔和な佇まいは、
母性のような包容力といえば大げさですが優しさの形態化です。







美術評論家であり学芸員でもある末続堯さんの著書を参考にすると、
その名の由来は「ころころとしているから」とされています。

ただ、陶磁名考などの他の古い文献や資料には記載がない中、
ほかではあまり聞かぬのに、骨董業界では当然のように使われている呼称であることから考えると、
存外、私たち古い品々を扱う者や茶事に携わる方たちがある種の区別のために、
かなり古い時期にそう呼び始めただけのことかも知れません。



当店にも丸紋のかわいい茶碗が、先日九州の懇意の方よりやってまいりました。





b0306034_16383653.jpg






茶碗 (六ツ段目)
  恋の薬がな 茶碗一つ 茶碗一つが 及びなや
  せめてこの手に 手に是ほど 御身ゆゑにこそ
  立たじばな立て 先づはお寝るよの 腹立ちや。

                       ― 初出年代不詳 / 越後瞽女 口伝唄




かつて、三味を持ち各地を歩き、門付けなどで歌を聴かせた
全盲の(方が多かった)瞽女(ごぜ)さんの歌もそうですが、
江戸期の伴天連信徒(キリスト教徒)の方たちの風習やその生活の実際は
口承を後年に綴ったものの、いまだ資料化されぬ土着の口伝などが多く
編纂された資料はとても貴重に思えます。





やってきた「ころ茶碗」、一見は伊万里によく見られる丸紋の佳品かと思いました。


ただ、描かれた意匠は少々変わっており、

 返し判じ(白い部分を見る)の四ツ向い銀杏に見せた古いクルス文、
 下がり藤花に似せた文様は基督教での復活を意味する8の曜(8つの星)※、
 同時期の伊万里に見られる四方襷などの斜方の各種格子文ではなく
 セーマンドーマンのドーマンを指す縦横直交の魚子(まなこ・ななこ)に似た格子

という極めて異風な文様で彩られています。




全体のなりから察するに、その生まれは伊万里の内・外山ではなく
江戸後期の波佐見などの脇窯ではないかと思います。
初期伊万里を思わすかのような極めて小さな高台、
やや急がれた焼成か、窯の中でも匣(サヤ)などに収め火回りに変化が出たのか
といった発色ながら、溶けるように澄んだ印象です。



セーマンドーマンの、特にドーマンの格子や曜(星)が描かれていることには特色があり、
海に従事する者であったことを色濃く示します。

ドーマンはトモカヅキ(共潜女/ドッペルゲンガーのように自分そっくりの者が
潜ると海中に居り、忌みや穢を打たれる)などの、さまざまな海魔からの魔よけとされ、
漁師や海女は自分の漁道具や、衣類、腰巻や褌などの下着にまでもその記号を記しました。
畿内から離れた地域ほど、その線数は必ずしも九字ではなかったようです。
また、こうしたまじない的なアニミズムや民話と宗教が渾然一体に共存するのは
中世の庶民史では村祭りと彼岸の関係など多く見られる現象に思います。



諸島群の多い長崎、佐賀などの海辺の郷の信心ある良民たちが、
伊万里よりも役人の目がわずかに甘かった地元の波佐見の窯人に
人目をしのんで独自の文様を依頼した品であったのか、
一客のみ大事にされ、今日まで伝わった品です。



海での労働を終えた夕べに、みな笑顔で集まり、
きっと静かな祈りの時間が過ごされたことかと思います。





b0306034_1639022.jpg







 染付 波佐見ころ茶碗<江戸後期> 御売約 個人蔵




※7をひとつの周期や区分単位とし、8は復活や再生を意味する神秘的な数。




.
[PR]
# by h_s_t | 2013-09-18 16:36 | 品々のこと

『こっとうさんぽ』 の夜長なり

週は、ようやく二十四節季でいうところの「白露(はくろ)」を過ぎ、
暦のうえでは野の草々に露が静かに降りはじめるころです。



 陰気ようやく重なりて、露こごりて白色となればなり

                   ― 江戸後期 / 太玄斎(松平頼救)『暦便覧』





五行思想の中では、四季の変化は五行の推移によって起こると考えられ
四季に対応する五行の色として、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」、
といった言葉が生まれ、秋の色は白とされています。







夜にはその気候の移り変わりを感じる涼風で、少し星もはっきり映りだし、
また、それにふと気づくことが、「星月夜(ほしづきよ/せいげつや)」が秋の季語であることを
あらためて意中にすんなりと分かり示します。

星を眺めていたりすると、回した両腕に触れる、肩のひんやりとした感触は
子供の頃よりなぜか心地よかった思いがあります。





 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども  風の音にぞ おどろかれぬる

                   ― 延喜五年(905)/ 藤原敏行『古今和歌集』



 秋たつや 川瀬にまじる 風のおと
 
                   ― 昭和十一年(1937)/ 飯田蛇笏『句集「霊芝」』



 秋の夜の あくるもしらず なく虫は  わがごと物や かなしかるらむ

                   ― 寛平四年(892) / 是貞歌合










敬愛する沢田眉香子さん(僕は普段、「沢田先生」と呼ばせて頂いているのですが)から、
著書である『京都こっとうさんぽ』をお贈りいただきました。

「行く」「やる」と言って動かない僕の勉強不足に、ついに業を煮やされたかと
いつもそのお心遣いに山々の感謝の気持ちです。




沢田さんは竹を割ったような判断力と、柔らかな猫の毛のような緻密さ、繊細さ、
コインシデンティア・オポジトルム(反対物の一致)とすればよいのか
極めて稀有な才能と人間的魅力にいつも溢れておられます。


二律背反に美を観る才は、日本の美感の中では確たる王道で、
日本人は小さな盆栽の中に大樹を、小さな器の表情の中に生や長大な時間を観て、
小さな茶室の中に自然や宇宙のひろがりを感じ、
句や歌の中に巻物に負けぬ美文を構成し、
その意識や才を高め続けてきた民族のように思います。





沢田さんの文章には古い品々への愛情もさることながら、
それに携わる人々、それを楽しむ人々、
そして新たな楽しみを探る人々への愛情に満ち溢れています。


僕にとっても、品々のことで悩みや行き詰まりを見せたとき、
なぜかいつも運よく、話す機会に恵まれたり、
お会いする機会に恵まれたりで、
「暗夜に灯を見る」をそのままに思うことが少なくありません。


沢田さんと巡り合えたのは偶然なことですが、
この良縁のありがたみを常々感じます。





b0306034_1635516.jpg









「京都こっとうさんぽ」光村推古書院版










.
[PR]
# by h_s_t | 2013-09-13 16:34 | 日々のこと